2011年2月13日日曜日

乳毛の存在意義を問う

明けましておめでとうございます。ようやく釈放され娑婆に戻って参りました。

というのは嘘で、正直に言うと、コラムという縛りがきつくなりました。

「コラムニストに、俺はなる!」と、ルフィよろしく息巻いていた私ですが、気づけば年をまたいで更新が止まっている。我ながら情けないことこの上ない。

そんなわけで今後はもう、書きたいように書こうと思います。そもそも、コラムというのは「柱」という意味です。文字が柱のように配置されたためにそう呼ばれたのです。だとすればブログはレイアウト上すべてコラムと言えなくもない。そう、日記を書こうが家計簿を付けようが、すべてはコラムである。ほら、このブログの形は見事は柱になっているでしょう?

さて、無理矢理開き直った今回はまず、乳毛について書こうと思います。

この世に存在するものには、それぞれ理由があります。人間が作ったものはもちろん用途があるし、自然界にあるものでも、何かしら役に立つもの。 

それは毛にも当てはまる。頭髪は大事な頭を日光や外傷から守り、鼻毛はほこりのフィルターとなり、脇毛は汗を発散させ、陰毛は生殖器を守っているのです。 

しかし、一つだけ意味のわからないものがある。それが、乳首毛ないし乳毛です。 

こればっかりは解せない。何の意味も見いだせない。いわゆる無駄毛と総称される毛は実は無駄ではなく、生理的な意味がある。髭だって、ファッションに活かせる。胸毛だってワイルドさを演出してくれる。だが、乳首毛たるや役に立ってる様子もなきゃファッションとしてもマイナスにしかならない、まさに無駄毛、真の無駄毛だ。 

かつて昭和天皇は「雑草という草はない」とのたまった。これは、どんなものにも名前があり、人間の都合で雑草などという呼び方をすべきでないという意味らしい。だが、乳首毛を見て、「無駄毛という毛はない」とのたまえるだろうか? もし私があと四十年早く生まれていたら、天皇陛下の御前で胸をはだけ、この毛をご高覧に供したかった。


そしたら私は、きっと、右翼かなんかに殺されただろうけども。

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