2013年7月29日月曜日

『風立ちぬ』みてきた

宮崎駿監督のアニメ、風立ちぬをみてきました。二回も。なのでその感想を……。

以下、めっちゃネタバレします。

結論から言いますと、ものすごくおもしろかったです。わたしはどちらかと言うと、アニメではただ派手なシーンとかわくわくする物語とかがみたいタイプなのですが、でも、このアニメはそういう期待とは別のところでおもしろかったです。

まず主人公、堀越二郎の特異なキャラクターがおどろきです。

二郎は子どものころから「美しい飛行機をつくりたい」という一心で設計家の道を歩んでゆくのですが、かなり変わり者です。でも、わかりやすい変わり者ではなくて、なんかズレてる、という変わり者。ときどき登場する二郎の妹が「兄さまは薄情者です」と何度か言うんですが、ほんとに薄情者なのです。

菜穂子がサナトリウムで闘病してるあいだ、二郎は見舞いにもいかず会社で勉強会なんぞひらいてもりあがっていますし、心配してくれてる妹のことには無頓着、路上で親の帰りを待つ貧乏な子どもにお菓子をあげようとして拒否されるも、なぜ拒否されたのかわからず。しかも、いずれのケースでも罪悪感は持っていません。

そのくせ、女性への意識はめっぽう強い。全編を通して二郎は女性ばかりを見、女性にいいカッコをしようとします。席を譲ったり、地震のとき骨折の手当をして助けたり、お菓子あげようとしたり。しかも、女性が好きなのはたんに女性が「きれい」だから。二郎は菜穂子になんども「きれいだ」といいますし、あまつさえ、久々に会いに来た妹への第一声も「きれいになったね」です。この女たらしめ!

つまり、きれいなもの(飛行機と女性)への憧れをつよく持った変わり者が主人公堀越二郎なのです。

で、この変わり者二郎に恋をして結婚する菜穂子さんも、やっぱり変わってる。この二人の関係性、おもしろい。

たぶん、菜穂子さん自身も、きれいなものへの憧れをつよく持っていた人なのです。菜穂子さんが丘の上で油絵を描いてるシーンがあるのですが、そこで描いていた線は、まさに、二郎がずっと惹かれていたサバの骨の曲線でした。

けど、菜穂子さん自身は結核という病いのために、絵画で美を追求するという道を進めません。なので、おなじような夢を持っている二郎に、いわば自分の夢を託した、のだと思います。自分自身は美しいものをつくりだすことを諦め、自分を美しいと言ってくれる人に残りの儚い人生をささげたのです。

肺をわずらう菜穂子さんと、家でも仕事をする二郎が、部屋で手をとりあうシーンがあります。そのとき、二郎はたばこを吸いたくなり、一度は遠慮するのですが、菜穂子さんにうながされて吸います。これがとてもいい! きっと、菜穂子さんからすれば、「自分がそばにいるせいでめいわくをかけたくない。いつものペースで生活してっ」ということでしょうし、二郎からすると、その気持ちをくみとり、相手の健康を害することを承知の上であえて吸っている、ということだと思います。「相手のことを思いやって、あえて、たばこを近くで吸う」という、なかなか他ではお目にかかれないシチュエーションです。

さて、恋愛からはなれ、二郎の飛行機づくりに関してなのですが、戦争との関係でいろいろと考えさせられました。

二郎自身の夢は、あくまで美しい飛行機をつくることです。けど、社会的には、二郎は戦闘機をつくり、いわば戦争に荷担しているのです。なんとも悩ましい! 自分が同じ立場なら、「こんな人殺しの道具をつくっていていいのか」と葛藤するかもしれません。

けれども、二郎にはそういう葛藤、苦悩があまり感じられない。というか、たぶんない。同僚の本庄から「おれたちは死の商人ではない。いい飛行機をつくりたいだけなんだ」というようなことを言われたとき、「うん。そうだね」とそっけない答えをするだけ。こういうところで、つい笑っちゃうと同時に、かなりひっかかりました。

一貫して、二郎は淡々といい飛行機をつくろうとします。けど、それによって日本がよりひどい戦火にのまれることに、あまり悩んでない。そして、映画としても、「生きねば」がキャッチコピーですから、二郎の生き方を、どちらかと言えば、肯定している。ここですごく考えさせられてしまいました。

いえ、反発しているわけではないんですが、単純に「逆境にあっても夢を追い続けるのはすばらしい! 夢を忘れるな!」という気分にはなれません。風立ちぬの中では、夢を、それも、きれいな飛行機をつくりたいという素朴な夢を追うことの負の面がでかすぎる。結論としては、「生きねば」ですから、「そういうつらいこともあるけど、それでも、生きねば」だと思うんですが、「それでも」の前の譲歩認容の部分がでかすぎて、スムーズにその先へ行けません。わたしは。

わるいふうに解釈しようと思えば、二郎はいくらでも悪人に見えてきます。普通の日本人が食うや食わずの生活をしているころ、自分は軽井沢の避暑地でいいものを食い、ピアノの弾き語りを聞き、女の子と紙飛行機で遊んでいるのですし、膨大な資金を使って夢を追求しているのですから。

というふうに、いろいろ考えたすえ、わたしの場合は二郎を完全に肯定はできないし、この映画のメッセージもしっかり理解できたわけではないのですが、でも、こうやっていろいろ考えさせられたという時点で、この映画が好きになりました。いい映画だと思いました。

以下は、雑記といくつかの疑問。

軽井沢で出会ったあのドイツ人のスパイみたいな人が食ってた草は何なのでしょう? でかい鉢に大量に入ってた草をかれはもしゃもしゃ食ってましたが、なぞです。野菜のようではなく、完全に草でしたよね? かれのセリフのなかで「○○もおいしいですし」みたいのがあったので、その○○が草の名前かもしれませんが、滑舌がわるく聞き取れませんでした。(追記:ぐぐったら、どうもあの草はクレソンという野菜らしいです)

この映画では飛行機の音が人間の声で表現されています。で、そのために、飛行機の音がすっごい不気味なのです。うめき声や悲鳴に聞こえるところも多数。はたして、あの不気味さというのは意図してのものなのかどうか。結果的に不気味になってしまっただけなのか。そこがよくわかりませんでした。

作品のなかで、何度かワインという言葉が出てきます。夢のなかで、カプローニさんというイタリア人の飛行機設計士が「いいワインがあるんだが飲んで行かないか」と、二郎を誘うのです。でも、たしか、二郎が実際にワインを飲むシーンはありません。軽井沢でも、ドイツ人スパイと菜穂子の父はワインを飲んでますが、二郎はビールなのです。はたして、ワインは何かのメタファーなのか。二郎はワインを飲まなかった、というのがどういうことなのか。気になります。(気にしすぎ?)


最後に、auの「風立ちぬへの手紙」などに掲載されてる感想について。

あそこには、主に、「戦争という逆境に負けず、夢を追い続けた二郎の姿に元気をもらいました!」的な感想が多いのですが、それはちがうと思うのです。二郎は、病気と闘うとか、周囲の無理解に打ち克つとか、そういうレベルの逆境と闘ったのではないのです。-100を努力によって100にするんじゃなくて、-100と100が同時に存在し、絶対に打ち消し合わないような、困った状況にあると思うです。

戦争が逆境……でもあるんですが、むしろ、飛行機をつくりたい二郎にとっては絶好のチャンスでもあります。貧乏な国が飛行機をもちたがってくれるわけですから。だからこそ、二郎は夢を追えたのです。「つらいこともある。でも夢を追い続けよう」という単純な図式ではまったくかたづかない、えらくねじれた構造です。とてもとても、残酷で、グロテスクで、エゴイスティックなものです。

やっぱり結論は出ませんけど、でも、これはいい映画です。もう一回みにいっちゃおうかな。