2013年8月26日月曜日

グルラボ 孤食民の救世主

グルラボ、というものをご存知でしょうか。

いえいえ、回転している研究室ではございません。これは、一見ただのタッパーに見える、万能調理器具なのです。



半月ほど前、実家に帰り、また京都へ戻ろうというとき、母にグルラボを手渡されました。「これを使いなさい、清水」と言われて。わたしは、「はい、お母様」とこたえてそれを受け取りました。「これは魔法の容器です。これに食材や調味料を入れ、電子レンジでちんすれば、ありとあらゆる料理ができるのです」母はそう言い残すと、山賊どもに連れてゆかれました。

で、わたしとしてはかなり半信半疑でした。まっさか、こんな、ちょっと頑丈そうなタッパーウェアで何ができるのかと。せいぜい食べ残しのカレーを温められるくらいだろうと。

けれども、実際に付属のレシピをみて、その通りに肉や野菜や調味料などをグルラボに投入し、レンジで数分チンしますと、あら不思議。しっかりした料理のできあがりです。ホイコーローがうまそうな匂いをはなっているではありませんか。

それから、ジャガイモをあらって5分ほどチンしますと、それはもう、ホクホクになっているのです。わずか5分です。あとはもう、キュウリとタマネギを切って混ぜれば、ポテトサラダの出来上がり。

他にも、レシピを見てみますと、可能な料理の幅はめちゃめちゃ広く、肉や魚料理はもちろん、ごはんだって炊けるし、パスタもいけるし、パンも焼ける。なかには焼きそば、なんてのもある。そんな、焼きそばのアイデンティティを根本からへし折ることもできちゃう。

こうなりますともう、自炊をするとき、フライパンも鍋も必要ありません。なんせ、もう、すべてが電子レンジでできてしまうのですから。そう、このような魔法は、グルラボという容器と電子レンジという機械によって可能になったものなのです。グルラボ×電子レンジ=マジック。

ああ、わたしは、これまで独りぐらしで8年も電子レンジを使いながら、まったくこいつのポテンシャルを発揮させられていなかったんだ。と、わたしはしみじみ思いました。せいぜい牛乳やごはんを温めるだけ……そう、温めることにしか使っていなかったのです。けど、違うのです。電子レンジの用途は、「温め」ではない。「料理」なのです!

さらに言うなら、グルラボの優れているところは、一人前や二人前の少量をかんたんに作れることです。一人暮らしにぴったりなのです。もうね、これから一人暮らしで自炊するという人は、フライパンとか鍋とかIHコンロとか買わなくていい。炊飯器と電子レンジとグルラボでいい。それで十分すぎるほど十分です。それだけで、あらゆる料理がインスタント食品気分でできてしまうのですから。

グルラボ、どうぞお試しください。

ちなみに、この記事はステマではございません。

2013年8月22日木曜日

kindleに振り回されて

もはやこれは、形而上学です。

事のはじまりは数時間前、Amazonで購入したあるブツが届いたときです。

そのブツとは、kindle paperwhite。

そう、いま話題の電子書籍です。数ある端末のなかでも、アメリカですでに普及し、いよいよ日本上陸となった最先端のデバイス。わたしの胸は踊りました。ああ、これで紙の本が溜まってゆく現状を変えられる。カフェなんかでkindleを取り出して指でスッスと画面をこすれば、わたしもかっこいいIT民だ、と思いました。

さっそくダンボールをあけ、スターウォーズのハンソロばりにビニールで密閉された黒い箱を取り出し、中身を取り出しました。姿をあらわしたkindleは黒くて実にシンプルな、シックなデザイン。さながらapple製品のようです。日本のもっさい企業では、こうはつくれますまい。おい、CASIOにSEIKO! なんでappleとかAmazonにタブレット市場を取られとんねん! 電子辞書とかで培った技術はどうしたっ!?

おっと、すみません。つい罵詈雑言が出てしまいました。閑話休題。

で、kindleをUSBケーブルで接続し、スイッチオン!

そうしますと、まるで紙の上のインクのような文字が表示されました。おお、さすが、paperwhiteというだけのことはあると感心します。

さて、ここからが問題です。問題でした。愛用のiMacにkindleを接続させようとするのですが、これがまったくうまくいかない。というか、わからない。わたしはかつてないほどの疑問の渦に投げ込まれました。

kindleいわく、「Wi-Fi接続するけぇ、無線のアレを検索すんでぇ」。で、少し待ってみたのですが、どうも、iMacに接続されてる気配がありません。

kindleいわく、「検索したら、5つくらいあんで」。で、実際、その画面には意味不明な数字や文字の羅列が、5つばかり並んでいるのです。しかし、それらのうちの一つが、果たしてわたしのこのiMacのものかどうかは謎です。というかおそらく、どこか他の部屋から漂ってきた「迷いWi-Fi」でありましょう。

ここからわたしの苦闘がはじまりました。なんとかして、kindleとiMacを接続させなければならない。出会わせなければならない。こんなに距離は近いのに、物理的にはほんの30センチほどなのに、まだ出会わぬ二人を、Wi-Fiという糸で繋がなければならない。

ということで、iMacの方をいじり、何とかしようと試みます。けど、Wi-Fiがない。っていうか、そもそもWi-Fiが何であるかを、わたしは知らない。ウィーフィーではなく、ワイファイと読む。それだけは知ってる。あと、無線で電子機器を繋げるなにか、だというのも知ってる。無線というのは、ケーブルを用いないことだというのも知ってる。漢字を見ればわかる。糸電話は、有線接続。携帯電話は、無線接続。ここは確実だ。けれども、Wi-Fiが何か、よくわからん。

しかし、わたしも馬鹿ではありません。偏差値60オーバーの頭脳をフル回転させて考えます。おそらく、Wi-Fiというのは、無線接続の一つの方法なのです。そう、方法。あるいは規格。他にも、EthernetとかAirMacとかBluetoothとかがある。「青い歯って何やねん」とは思うけれども、それはたしかに思うけれども、わかる。携帯電話とか、それで接続できるんだ。あと、FireWireというのもある。あった気がする。それは何に使うのか知らん。でも、いろいろあるんだ。っていうか、なんでそんなにいろんな無線通信の方法が用意されてるのかわからん。一つに絞れよ、とは思う。けど、今は、この疑問は飲み込もう。とにかく、あるものはあるのだ。その現実は受け入れよう。

というわけで、Wi-Fiは接続方法ないし規格である、という事実(?)をついに探り当てたわたしでしたが、iMacの「ネットワーク」という部分を開いてみても、Wi-Fiの文字が見当たらない。上記の、EthernetとかBluetoothとかAirMacとかは見つかるけど、Wi-Fiなんて言葉はどこにもねぇ。

さて、困りました。

しょうがなく、右上にある検索ボックスで「Wi-Fi」と入れてみますが、それらしいものは出てきません。ここで一つ、疑念が生じます。ひょっとして、このiMacにはWi-Fiの機能が搭載されていないのではないか、と。けど、すぐにそれは否定しました。このiMacはまだ買ってから3年ほどしか経っていない。OSだって10.6で、そう古くはない。きっと、この薄めのボディの中にも、Wi-Fiは入っているはずだ。どんな形かわからないが、確実に入っているはずだ。そう、信じました。

で、こんどはいよいよGoogle先生に泣きつきました。さまざまな文字列を打ち込んで検索してみます。まあ、kindleとiMacの接続を、そのまんま、フルで解説してくれてるページがあればいいなと期待しつつ、「kindle iMac Wi-Fi」などと入れます。英語のページがズラッと出て来て、チッと舌打をし、今度は「接続」と、日本語を混ぜて検索し直します。ですが、なかなかこれぞというページが出て来ない。だめです。

この時点で、もうかなりイライラしています。

でも、それでも、スタイリッシュな電子書籍ライフを夢見て、ネットの海をもがき続け、しばらくして手に入れた情報は、「Wi-FiはAirMac」というものでした。

いえ、たぶんこれは正確なことではございますまい。Wi-Fi=AirMacなどと、そんなことはないでしょう。きっと、互換性があるとか、そういった意味のことだと思います。でも、そもそも意味のわからない二つのものが、互換性のようなものがある、とわかっても、もうすでに、わたしの頭のキャパは越えております。なんだこれ、形而上学か。『純粋理性批判』の方がまだわかりやすいぞ。kindle metaphysicsかこれ。

けど、おそらく、AirMacの機能があればiMacとkindleを繋げられると信じて、わたしは作業を続けました。kindleを片手に、ネットワークを模索します。「ネットワークを模索する」という言葉も意味不明ですが、しょうがないんです。意味不明なんですから。とにかく、がんばったのです。

で、結局、kindleにiMacのAirMacを検知させることはできず、しかも、AirMacのパスワードもわからないので、ついに、わたしは断念しました。思わず、kindleを乱暴に机に置き、畳に寝転んでしまいました。完敗です。

そもそも、AirMacのパスワードがわからないんじゃどうしょもないし、AirMacのパスワードというのが何なのかも理解できないし、正直、AirMacが何かもよくわかっていないし、もう、無理です。無理なんです。完敗なのです。

数分ほど、わたしは畳の上に仰向けになり、天井の照明を見つめながら呆然としました。本来、kindleというのは便利なもののはず。テクノロジーが、読書に革命をもたらしてくれたはず。快適で楽しい読書生活を与えてくれるものだったはず。なのに、わたしは一文字も電子書籍を読まないまま、すでに、打ち砕かれ、打ちひしがれ、疲労困憊しているのです。紙の本なら、Amazonから届いてすぐにパッと開いて、何の設定もせず、読むことができたはず。それが何さ……。わたしはどんどんいじけてゆきました。

やっぱり紙の方がいいんだ。本といえば紙だ。紙の本はすぐ読める。落としても壊れない。充電も必要ない。かさばるのはいやだけど、逆に言えば物質として残るということで、やっぱ紙がいいよ。羊皮紙に比べれば、ぜんぜんコンパクトでかるい。石板の時代よりは、ずっと便利になった。巻物より読みやすい。紙で満足しようじゃないか。kindleなんか要らないんだ。こんなもんはスクラップだ。

と、いじいじと考えていました。

けど、しばらくして、ふと部屋の周囲をみまわすと、そこにはたくさんの本、本、本。カラーボックスには前後二列にわたってぎっちりと、本。奥には岩波文庫がぎっちり。おそらく一生読まないホメロスの『イリアス』が、手前の円城塔『道化師の蝶』の横からのぞいておる。あっちでは、勢いで買ったけど読んでない『現代言語学入門4 意味と文脈』が、ピンチョン『ヴァインランド』の奥に見える。それから、たくさんの文庫たち。『アルケミスト』『僕のエア』『この人を見よ』『神曲』『小遊星物語』『日本語必笑講座』『ロリータ』『ねじまき鳥クロニクル』『プレーンソング』『オロロ畑でつかまえて』『僕の妻はエイリアン』『やし酒飲み』などなど。

ああ、このままだと、部屋が本に飲まれる……。

わたしはそう思い、ふたたび奮起しました。ここでkindleに愛想をつかしてしまったら、わたしはこれまでと同じように本を買い、部屋をこいつらに占拠されてしまう。そんな危機感を抱いて、気持ちもあらたにkindleとiMacに向き合いました。

さて、そうなりますと、まずは基本に立ち返るべし。ということで、Amazonの公式kindleサイトに飛びました。で、流し読みしかしてなかった説明文を読む、読む、読む……。そうして目に飛び込んで来たのは「PCがなくてもご利用になれます」の一文。お、おい、嘘だろっ!

さっきまでの四苦八苦は何だったのかと、脱力感に襲われました。が、同時に、PCがなくても書籍がダウンロードできる……そんなことが可能なのか、という疑問も湧いてきます。いったい、これはいかなることか……。

それからまた調べたのですが、どうやら世の中には無線LANスポットなる場所がある模様。いえいえ、パワースポットではありません。Wi-Fi接続が無料でできるという、そういう場所です。知らぬ間に、セブンイレブンですとかスターバックのような店舗が、神的な力により、Wi-Fi接続できるようになっておるということです。

というわけで、kindleを持って近所のセブンへ。

この時点でまたうんざりしてきてます。だって、わたしとしては、部屋にいながらにして本を買いまくれる、と思ったからkindleを買ったのです。それが、外へ出なきゃいけないんじゃ、kindleの魅力半減です。そりゃ、セブンは歩いて5分ですから、大型書店へ行くよりは近い。けども、ねぇ……。

で、セブンに入り、お菓子の棚の前に陣取って、およそ20分、また四苦八苦をして、んで、ようやく最初の一冊、小川洋子『博士の愛した数式』をダウンロードできました。いやもう、本のチョイスなど適当です。とりあえず、オススメっぽいとこから、見たことあるタイトルのものを選んだだけです。ああ、長かった。あと、kindle、文字入力しづらい……。

ということで、いろいろありましたが、何とかkindleで本を読める状態になりました。いや、IT関係がまだこんなに難しいとは、正直意外でした。この、デジタル機器がどんどんアナログに近づいているご時世、もうちょっと楽に使い始められると思っていました。Amazonもappleもまだまだですね。いえ、わたしが機械音痴なだけなんですけど。

さて、セブンから戻って、そういえば郵便受けのチェックをしておらんな、と気づき、なかを調べたらAmazonマーケットプレイスで買った本が届いておりました。部屋にもどり、封筒をやぶると、出て来たのは斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』。装丁はとってもきれいで、もうわくわくしてきてしまいます。なにより、封筒をやぶってすぐ読み始められるのがいい。何という便利さ! すっかり、わたしはそのヤンキー論を読みふけるのでした。

やっぱり、paperwhiteよりpaperです。

2013年8月18日日曜日

小説すばる新人賞 一次通過

良いニュースと悪いニュースがある。どちらを先に聞きたい?

と言っても「どっちも興味ない」とかえされそうですので勝手に言います。

悪いニュースは、前々から書いていた某国家機関の採用試験、それに落ちたということです。すでに複数不合格をつきつけられていたのですが、きのう確認したのは第一志望であっただけに、不合格となると、いやはや絶望的であります。

良いニュースは、集英社がやっている小説すばる新人賞という公募の賞の、一次選考を通過したことです。本屋で九月号を手にし、最後の方のリストを見て自分の名前があったとき、いやはや感動いたしました。

さて、この先どうなるのかと言いますと、もちろん二次、三次と選考は続いてゆきます。というか、たぶんもう終わっているでしょう。ネット上の断片的な情報をあさってみますと、最終候補に残ったものには、すでに電話連絡が行っているとかいないとか。わたしには、目下のところ、電話はございません。たぶん回線の途中に岩でも詰まっているのでしょう。

ともあれ、1435編中の100編ほどに選んでもらい、とても嬉しい。諸々の国家機関に落とされたあとだけに、自分の名前がリストにのるという喜びはひとしおです。ほんの少しのことでも、励みになるものです。

2013年8月16日金曜日

入会一分、退会不可能

怒っています。わたしはいま、怒っています。激おこプンプン丸の手にした釘バットを奪い取って逆に袋だたきにしてやりたいくらい怒っています。

何に怒っているのか。

各種会員の、なりやすさと、抜けにくさに、です。

ええもう、あいつらは非常に狡猾なのです。おトク情報という餌を大量にばらまき、わたしのような獲物をおびき寄せ、あっという間に会員にしてしまうのです。それはもう、実に見事なものです。こっちはもう「無料」という文字に目を奪われていますから、実に気軽に登録してしまうのです。

で、忘れた頃に、銀行口座から、見知らぬ料金が引き落とされているのです。ええ、わたしはあの某有名通販サイトのことを言っているのですよ。通販サイトAで、三ヶ月無料キャンペーンをやっていたからプレミア会員になり、気づいたときには有料に移行しており、年会費をきっちり取られていたのです。

普通に考えれば、コモン・センスにうったえるならば、有料になる際、メールのひとつも送ってくれると思うではありませんか。あれほどいらないメールを送ってくるAmazonですよ。なのに、そんな大事なことは教えてくれないのです。

また、あの有名な紳士服量販店もそうです。愛想のいい店員に「無料ですから!」と言われ、そのままカードを作らされ、あとで気づいてみれば、パンフレットに小さな文字で「二年目以降は有料」などと書いてあるのです、おトク情報の五分の一くらいのフォントサイズで。ぜんぜん紳士的じゃないぞ、青山。

さらには、つい先程のこと。テレビCMでツタヤTVが宣伝されていたので、こりゃよさそうだと思い、さっそく登録しました。宣伝通り、一分で完了しました。が、視聴に必要なアプリをダウンロードし、解凍しようとしたら、Mac OSが「できない」と抜かすのです。

「できないとは何事だ! きさま、それでもジョブスの生み出した製品か!」
「できねぇもんはできねぇんでゲスよ。そういうのはWindowsの仕事ですぜ」
「口答えするな! さっさと解凍して動画を再生しろ! .exeの拡張子がそんなに怖いのか、小心者めが!」
「youtubeとniconicoならいけまっせ」
「そんなことはとうに分かっている。いま問題なのはtsutaya-tvだ馬鹿者!」

と、そんな罵詈雑言の応酬をしても、問題は解決せず、結局、だめだったのです。

で、さっそくツタヤTVを退会しようとしたのに、こんどはそのやり方がわからない。ツタヤのページは「解約したいならホームのマイページからやりんしゃい」と言いますが、そのホームという場所が見つからない。結局、いまだに解約できず、です。どうも、あのアプリを開かないと、退会すらできないくさいのです。

「おい、わかったか! いいからこのファイルを開け!」
「無理でゲス」
「きさま、これだけiPodやiPad、iPhoneが普及しているというのに、iMacがマイナーにとどまっているというのはどういうわけなんだ! 初代iMacから愛用しているわたしをコケにするつもりか!」
「そ、そんなつもりはねぇんでゲス。けんど、あっしはOSですから、ツタヤさんがあっしに合わせてくれねぇと開けねぇんでゲスよ」
「ぐぐ……くそっ!」

というわけで、愛用のiMacとつい喧嘩までしてしまった次第なのですが、ほんとうに、入りやすく抜けにくい仕組みはやめていただきたい。入会はページど真ん中のテカテカしたでっかいリンクからできるのに、退会はページのいっちばん隅っこの目立たないところから二回も三回もリンクを踏まないと行けないというのはやめて欲しい。

そんな、情弱からのお願いでした。

カマキリVSセミ

お盆に帰省したおり、実家の畑の一隅にて、ひとつの闘いが繰り広げられておりました。

それがこちら。

地上一メートルほどの柿の木の枝で、カマキリがセミを捕まえておりました。

このとき、セミはまだ元気で、激しく羽ばたき、なんとかカマキリの魔の手から逃れようと必死でした。その動きはかなり活発で、蟷螂の斧ぐらい振り切ってしまいそうにも見えたのですが、しかし、そうは問屋がおろしてくれません。接着剤でくっ付いたように離れないのです。

それにしても、カマキリがセミを捕まえるなんて、なかなか意外なことです。昆虫については詳しくありませんが、カマキリ程度の大きさだと、セミはでか過ぎて、獲物の範疇から外れると思ったのです。なのに、この果敢なトライ。すごいものです。

さて、この闘いはだいぶもつれておりましたので、いったん奥内に戻り、アイスなどを食べて涼んだあと、もう一度あの現場に戻ってみると……


食っとる! むしゃむしゃ食っとる!

カマキリ対セミの闘いは、カマキリに軍配があがりました。しかも、すでにセミは、かわいそうなことに、三分の一ほど食われてます。頭の部分は完全に食われています。わたしが見ているあいだも、カマキリは実においしそうにむしゃむしゃ食う。よほど空腹だったのでしょう。ちなみに、断面の部分は食べかけのメンチカツみたいになってたので、修正を入れました。

しかし、セミみたいな大物を食うとは、さすがカマキリです。全生物の大きさを同じサイズにしたら、生物界最強はカマキリだ。バキにそう言わしめただけのことはありますね。

けど、気になるのは、「食いきれるのか?」という問題です。だって、体積からいったら、たぶんカマキリとセミは同程度、下手すればセミの方が上ですから。うまい部分だけ食って、他の部分は捨てるのでしょうか? あるいはアリさんにお裾分け?



ぜんぶ食いよった!

もう一度、部屋の中で涼んだあと、また様子を見に行ったのですが、そのとき、カマキリの手には、セミのおしりの先しか残っておりませんでした。どうやら、すべて食った模様です。すごい、すごい食欲です。ごらんください、このパンパンのお腹を。ここに、セミ一匹がおさめられているのです。

セミのご冥福をお祈りします。

2013年8月3日土曜日

小谷野敦がおもしろいよ

小谷野敦というひとをご存知でしょうか。コヤノ・トン、またはコヤノ・アツシと読みます。このひとがまあ、おもしろいのなんの。

おそらく岡田斗司夫以上にマイナーで、知らないひとも多いと思うのですが、実に個性的でおもしろい文章を書くひとです。

本業は比較文学の研究者。主に日本の近現代の文学作品を研究しているひとのようです。が、それのみならず、非モテの立場から恋愛について語ったり、各種文学賞や特撮モノについて論じたり、あと、小説も書いてしまうというかなりマルチな物書きでもあります。

何がおもしろいかと言いますと、陰に陽に、文章に私怨が渦巻いているというところ。小谷野さんはもてないとか、東京大学の専任講師になれないとか、友だちが少ないとか、文学賞がとれないとか、そういうさまざまなコンプレックスを持っており、それに基づいて、いろんなひとを批判・罵倒するのです。

たとえば小谷野さんはカント研究者の中島義道が大きらいです。中島は、変人で世渡り下手のふりをした世渡り上手、だと評するのです。あるいは、宮台真司のこともきらいみたいですし、森見登美彦も、なにがおもしろいのかわからない、と言います。言い切ります。ほんとに容赦がない。

こういう、コンプレックスをあらわにしたり他人に毒づいたりするひとというのは、往々にしてキャラでやってたりするものですが、小谷野さんはおそらくちがって、まじっぽいんです。というか、まじです。ほんとに、心からもてないのを気に病んでいるし、東大の教授になれないことが悔しいのです。

それから、文章の書き方が独特。普通の知識人なら書かなかったり曖昧にぼかしたりするところを、ズバッと言い切ります。「いじめられっ子は、どうせ自殺するならいじめっ子を殺してからにしろ」みたいなことを、書いちゃいます。また、自分の興味あること、詳しいことをダーッとマシンガントークよろしく書き連ねる、というのもよくある。正直、明治から昭和初期のマイナーな文学者とか作品を出されてもチンプンカンプンですが、んなもんおかまいなし。

そういうひとですから、悪くいえば性格がわるいし、独りよがりだし、わかりにくいんですが、けれども、おもしろいのです。うまくまとまってる当たり障りのない本より、好き放題に、脱線しまくる小谷野さんの文章は、なかなか他ではお目にかかれないものです。

以下、読んだ本について。

・『文学研究という不幸』(ベスト新書、2010)
タイトル通り、日本の文学系研究について、否定的に考察した本。内容のほとんどは学者たちの学歴や受賞歴、活動についてだった気がします。だいぶ前に読んだのでうろ覚えですが。けど、おもしろかったのはたしか。文系院生などはかなりおもしろく読めるでしょう。

・『「昔はワルだった」と自慢するバカ』(ベスト新書、2011)
内容はタイトルとほぼ関係ありません。序盤は古今東西の文学作品におけるワル、または元ワルの扱いについて。後半は俗物とはどういう人間かという話。全然まとまりのない内容です。けど、それだけに小谷野節がうなっている。とりわけ中島義道批判にはかなりの紙幅が割かれており、読み応えがあります。小谷野さんは、中島がウィーン留学中に同時に七人の女性から求婚されたことに実に嫉妬し怒りを覚えているようです。

・『友達がいないということ』(ちくまプリマー新書、2011)
序盤からずっと、過去の文学作品における友情という話が続出します。普通、このタイトルだったら孤独な中高生に向けて書くと思うんですが、んなもん関係ねぇとばかりに、絶対中高生がついていけない話が続きます。「タイトルに惹かれて手に取った十代の子とか、これ読んでどう思うだろう?」と想像すると笑えてきます。びりびりに破くんじゃないか。ちなみに、帯に「ひとりでも生きていける」とありますが、ひとりで生きていく方法なんかほとんど書いてありません。

・『童貞放浪記』(2009、幻冬舎文庫)
ズバリなタイトルです。著者の二冊目の小説集。標題の作品が冒頭にあり、次が続編にあたる『黒髪の匂う女』、最後が『ミゼラブル・ハイスクール一九七八』です。私小説、ということなのですが、文章として上記のエッセイと差がなく、しかも脚色がほぼないみたいで、手記を読んでる感覚です。小説らしさがゼロに近い。内容は、標題の作品はタイトルから想像できる通りです。ただ、『ミゼラブル』は、どんな陰鬱な高校生活が綴られてるのかと思って読んでみれば、友達もいて、親との仲もよく、二年生からは優等生で、文学という好きなものもあって、という内容なので、「どこがミゼラブルやねん」と思わざるをえません。まあ、そこもまたおもしろいんですけど。


明日くらいには、小谷野作品のなかでおそらくもっとも売れた『もてない男』が届きます。これも楽しみに読んでみたいと思います。みなさまもぜひ、怨恨と不満に裏打ちされた、たしかなネガティブ文章を読んでみてはいかがでしょうか。

2013年8月2日金曜日

岡田斗司夫がおもしろいよ

岡田斗司夫というひとをご存知でしょうか。

わたしもあまり詳しくはないのですが、あのエヴァンゲリオンで有名なガイナックスという会社の社長をやってたことで有名な人です。ほかにも、アニメの脚本をやったり、クラウド・シティというSNSを運営したり、本(『いつまでもデブと思うなよ』など)を書いたりなどしているようです。

少しまえまで、わたしはこのひとのことをアニメ通としてしか認識しておらず、もっと前は伊集院光と同一人物だと思っていたのですが(痩せる前は外見が酷似していたのです)、YOUTUBEで岡田さんのおしゃべりを聞きましたところ、完全にハマりました。

なにしろ、頭がいい。めちゃくちゃ回転がはやい。わたしなどはゆっくりゆっくり考え、行ったり来たりして、ようやく思考を進めてゆくという人間なのですが、岡田さんはさながら弾丸のように一直線に進んでゆくという印象です。しかも、発言内容もかなり独特でおもしろいものばかり。

感銘を受けたのは、たとえば以下のようなもの。

・プライドを捨てるのは難しい。ならば、その高いプライドに見合う人間になろうよ。そのほうが楽だぜ。

・いい人をめざせ。表面的でもかまわないから。これからは金銭や正規雇用より、他人からの評価がものを言う時代になる。

・もてたいなら、女はかっこわるい男を狙え。男は老婆を狙え。

・美人は全員性格がわるい。

ほんとうはもっとあったのですが、いまざっと思い出せるものはこれくらいです。でも、世の中で一般的に言われている言説とはかなりちがう、独特なものだということはおわかりいただけるのではないでしょうか。とりわけ、現状の認識がとてもリアリスティックで、そこがすごい。

岡田さんのしゃべりは実に切れ味鋭くて、わたしなら半年くらい逡巡してしまうところを一秒でズバッと言ってくれます。娯楽としてほんとうに楽しい。みなさまにもぜひおすすめしたい。