2015年6月26日金曜日

「好きな小説家は○○です」

一ヶ月ぶりの更新となりますが、みなさまお元気でしょうか。女優志望の女性からメールが来てテンション上がり倒した挙げ句、出会い系のスパムだと分かってげんなりしたりしていませんか? 私は仕事を辞めるかどうか日々煩悶し、げんなりしているところです。

けれども、そんな日々にも楽しみがある。それが読書です。小説です。

現実逃避。そう言われてしまえば否定もできないのですが、やはり物語の世界というのはおもしろい。この頃は厚めの海外文学に興味の矛先が向かい、会社から合法的に奪取した金、いわゆる給料をつぎ込んでは購入し、読んでいます。

目下、読み進めているのはトマス・ピンチョン『V.』という作品。何だかよく分からない、暗号みたいなタイトルの小説ですが、かなりおもしろい。登場人物が多く、しかもあまり説明もなく出てくるため、だれが何をしてるのか分かりにくいという難点もありますが、奇想天外な発想とハードボイルドな描写によって編み込まれたすばらしい作品です。

さて、前置きが長くなりましたが、今回書きたいのは、好きな作家として挙げるとかっこいい作家、そうでない作家、というものです。もちろん、だれを好きでもきらいでも個人の好みですから、別にいいのですが、私はよく、「この作家を好きだというとかっこいいよな」とか、「この作家が好きだというとミーハーっぽい」などと、よく考えてしまいます。

トマス・ピンチョンの作品に手を出したのも、自分の心の内奥を探るならば、それは、だれかに「最近は何を読んでるの?」と聞かれたとき、「最近は、ピンチョンの『V.』だね」と言いたいがため。そう言って、聞いてきた女の子にかっこつけたいからに他なりません。微妙に他の人が知ってるか知ってないか、その境あたりの名前を出すと、何となくかっこいい気がします。

こうした観点で考えると、世の中のすべての作家は、好きな作家だと言うとかっこつけれる人と、そうでない人に分類できます。できるはずです。

かっこいいのは、今挙げたピンチョンに加え、たとえばイタロ・カルヴィーノ。「ヴィーノ」のあたりがイタリアっぽく、通らしさを醸し出していていい。英語名でないところがいい。あるいは、マリオ・バルガス=リョサ。これも、南米のマイナー感が出ていていい。ノーベル賞作家ではあるけど日本での知名度は今ひとつのため、通好みの感じがします。「リョサ氏の作品では……」なんて切り口で話し始めれば、目の前の文学少女はもう私にメロメロでしょう。

一方、かっこよさげに見えて、実はミーハーなんじゃないかと思われてしまう作家もある。この地雷には気をつけなければいけない。たとえば、カズオ・イシグロ。この頃、頻繁に名前を見かけるので、どうも名前を挙げても通っぽい感じが出ません。あるいはカフカ、ドストエフスキー、ガルシア・マルケスといった人々も、ちょっとしたブームのような感じになったので、どうも玄人ぶるには向いていない。目の前の文学少女にも、(あ、こいつニワカだな)と思われてしまいます。

まあ、全部偏見だし、読書で通ぶってなびく女性など存在しないと思いますが。