2015年9月28日月曜日

15年ほど前の少年犯罪

少年少女の自殺や他殺、そんな事件が世間を騒がせているようだ。

ようだ、というのはよく知らないから。私自身はその手のニュースをほとんど見ない。テレビはないから映像ではもちろん見ないし、ニュースサイトでもたいてい見出し程度しか目にしない。けれど、その手の話題がぽつぽつ盛り上がってるのは分かる。

なぜだろうか。世間というのは少年の事件が大好きだ。少年がいじめられて殺された、少女が飛び降り自殺した、そんなお話がクローズアップされて、現場の写真入りで週刊誌やネットニュースに書き立てられる。おっさんやおばさんだったら、殺されようが自殺しようがニュースにはならない。たぶん、まだ若い、少年少女の生き死に、あるいはトラブルだの悲劇だのに、人は興味を抱くのだろう。それだから報道も大きくなって、実際数は増えてないのに増えただの相次いでるだの言われるのだろう。

だが思い返すに、むかしの方がひどかった。

ここ数ヶ月、あるいは一年くらい、どうも少年犯罪が増えてるような印象があるみたいだが、ちょうど三十路の私が思い返すに、十五年ほど前は桁違いに少年犯罪が多かった。それはもう悪夢的と言っていいほどのものだった。

もっとも有名なのはサカキバラの事件。あんまり詳細は覚えてないし思い出したくもないが、凄惨な事件だった。世の中全体が震撼した。そして象徴的で、個人的にも印象深いのはバスジャック。私と同年代、十七歳くらいの少年が刃物を持って深夜バスを乗っ取った。おまけに、バスジャックは何度かあった。記憶の中では、ほぼ毎月起こっていたような気がする。マンスリー・バスジャックだった。「今回は路線バスをやったんだってよ」「凶器は小型のチェーンソーだったっていうぜ」「女子高生が制服姿で高速バスをジャックしたらしい。しかも数人でだ!」「なんとまあ、中学生が犯人とは。受験勉強にうんざりしてストレス発散したかったなんてのたまってんだとさ!」「一台のバスにバスジャック少年が三人も乗り合わせてて、結局そいつらの中でだれが主導権握るかで大もめ。最後は運転手が仲裁して仲直りしたんだと」とまあ、そんな会話がそこかしこで交わされるほどだった。

あの頃はひどかったものだ。新興宗教団体は真っ白の衣服に身を包み、集団で伊勢丹をおとずれ、かたっぱしから金品を奪って行った。気に食わない新聞記者らはみんなブルドーザーで谷底へ突き落とされたものだった。猟奇殺人も星の数ほどあり、そのうち二割は芸術家気取り。まるでそれが最先端のアートだと言わんばかりの不遜さであった。社会の方もいまよりずっと軽薄で、逃げ回る少年詐欺師をルパン三世の実写版(しかもとびきり若い)みたいに祭り上げ、いまはここに潜んでるらしいだの、どこそこで少女と知り合って一発ヤッたらしいだの、どこのブランドのシャツを着てただの、そんなアイドルじみた扱いをしていたものだ。

ちょっと大袈裟に書いてみたが、昔はそんな感じだった。

今はとても平和である。

2015年9月21日月曜日

辞職願

誠心誠意、心の底から、仕事を辞めたいと思っている。

何度かこのブログにも書いたが、つくづく仕事がうまくいかない。当初から、自分にサラリーマンなど務まるのかという疑念はあったが、その疑念は半年という醸成期間をへて確信に変わった。無理だ。

けれど、そう思い始めてすでに一ヶ月以上が経過している。もっと言えば、上司に辞意を伝えようと決心してからも二週間以上が過ぎ去っている。さて、その二週間とはどんなものだったか。

昼、出勤時間が近くなるといやいやワイシャツに袖を通す。一度も洗ったことのないウォッシャブルのズボンをはく。ホームセンターにて千円で買った腕時計を装着。いざドアを開けて仕事場へ。そして、待ち受ける上司と顔を合わせていつものあいさつ。「お疲れ様です」。さあ、ここで言え。ここで言うんだ。私は自分で自分を鼓舞する。それこそ思春期の少年が片想いの少女へ愛を告白するかのような胸の高鳴り、緊張が走る。が、結果はいつも同じだ。何も言えず、その日の業務がはじまる。

いやいや、チャンスはまだだ。まだ終わっちゃいない。仕事終わり、私の中のもうひとりの私がささやく。ここで言え。上司が帰る前に言え。ふたたび高まる緊張。口の中が乾く。平和堂で買ったボトルタイプのコーヒーでのどを潤す。再度奮起。だが、結果はまたしても同じ。「お疲れ様でした」。その日の業務が終わり、私は夜の道をヘッドライトに照らされて帰る。

家に帰り着くといつも思う。このままじゃだめだ。こんなことを繰り返していたら一生仕事を辞められない。下手すりゃ定年退職しちまうぜ。よくてもリストラの対象だ。いやいや、おれは契約社員だから「次年度の契約はありません」てオチかな。とにかく、無気力なまま会社員生活がつづくばかりだ。

そんな内省を繰り返した結果、昨夜、とうとう妙案を閃いた。問題は、口頭にて伝えられなかったことなのだ。だったら書面で、文章で伝えればいいじゃないか。そもそもおれは口下手の文弁慶だろ? な、だったらメール送ればいいんだよ。

なるほど。もうひとりの私に説得された私はだれもいなくなった仕事場でひとりメールソフトを立ち上げ、「辞職願」なる件名のメールを書いた。「もう無理っす」で済む内容を、そこそこ社会人的な文章に仕立て上げ、宛先欄に上司のアドレスを入力して「送信」。このボタンを押すには数分間の躊躇があり、内なる世間から「そんなかんたんに仕事を辞めていいのか」「親御さんががっかりするぞ」「三年は辛抱しろ」等々のお叱りを頂いたが、それも強引にねじ伏せてクリック。私はいつもより軽い足取りで夜道を帰った。

辞職の意志表示というものをメールで送るのが社会人としていいのかどうか、マナーに適っているのかどうかは知らない。あくまで口頭で、あるいは相談というかたちで話をしておくべきだったかもしれない。けれど、ここに至っては致し方ないと思っている。なんせ、このままでは辞めたいと言うに言えぬまま、正社員になり、出世し、部長になり、定年退職して悠々自適に老後生活に突入してしまうおそれすらあるのだ。

あのメールを出して帰宅し、今日は日曜、明日も祝日。もう、このままとんずらしたいものだ。

2015年9月3日木曜日

繁忙期終了

前回このブログを更新したあと、私の職場は繁忙期に突入した。一年でもっとも長時間労働となる一ヶ月だった。私は下っ端でやや難のある男なので、他のメンバーほど主戦力として酷使はされなかったが、それでも忙しい一ヶ月だった。

が、それも終わった。いまは、三連休の真ん中。部屋をきれいに片付け、就職以来遠のいていた自炊にふたたび着手。きのう今日と、野菜炒めやらやきそばなどを作っている。さらには長めの本の読書。前々から読もうと思っていたガルシア・マルケスの『百年の孤独』をじっくりと読んでいる。なんという優雅な日々か。

おまけに、ショートショートというものまで初めて書き、講談社に送ったりもしている。料理、読書、そして創作。こんな生活が死ぬまで続いたらどんなにいいだろうと思っている。それこそ、百年間孤独でも構わない気がする。

就職して半年、一応は働いてきたが、そろそろ気づいて来た。普通の会社員としてやっていくのはどうも無理だ。ということで、このごろはどうやって会社員以外の生き方をしていくか考えている。