2015年11月19日木曜日

そろそろ発表

今更ながら、小説を書くのが楽しい。会社員生活によって創作欲を抑圧されていたせいもあるが、非常に楽しい。書くのも楽しいし、書いたものを読むのも楽しい。こういうところ、ほんとナルシストだと思うのだけど、自分で書いたものがめちゃくちゃ面白いのだ。書いたそばから何度も読み直してほくそ笑んでいるのだから世話がない。自給自足が完成している。

さて、ブログのアクセス解析を見ていると、日々新人賞の結果が気になっている方からの訪問があるのに気づく。ここでは予選通過者を発表していないから、がっかりさせているような気もするが、発表が近づくとネットでいろいろ見てみたくなる心理は分かる。

野性時代フロンティア新人賞の結果発表もたしかもうすぐ。12月発売の1月号で一次通過が発表だったはずだ。一応今年も応募しているのでどうなるか、近々確認しにいくことになる。思えば去年は4本出して、予選通過がここだけだった……ああ、心の古傷がうずいてしまった。忘れよう。

あと、もう一つ応募していた賞もある。ダヴィンチ「本の物語」大賞である。ここは「本にまつわる物語」を募集していたのだが、条件に合致するかどうか微妙な線のものを出してしまい、心配している。俗にいうカテエラ(カテゴリー・エラー)の可能性もある。あと、一次選考とか二次選考の発表があるのかどうかも分からない。おそらくなさそうな気がするが、どうか。ま、最終に残れないんならもうそのへんはどうでもいいような気もするが。

執筆に話を戻すと、今回三人称で書くことによって、というよりぶっちゃけて言えば、ピンチョンの文体を真似ることによって、表現の幅がグッと広がった。この感じならいくらでも書いていけそうである。毎年新人賞に片っ端から応募する勢いで原稿を量産していきたいものだ。

2015年11月18日水曜日

新作着手

無職となって二週間以上が経過。もうそろそろ「今頃職場はどんな感じかな」ってことも考えなくなってきた。毎日フリーなのが普通になってきた。

で、何をやっているかと言えばもちろん執筆。実家に引き上げるまで一ヶ月の猶予を取っておいたので、目下ひきこもって執筆をメインに暮らしている。

いま着手している作品はもう一年半前にはおおよその構想があったものだ。設定なんかもだいぶ考えてあった。が、なぜだかこいつは書くたびに失敗してきた曰く付きのもの。去年だって二度、一章分は書いたのに結局うまくいかず放棄してしまった。

それが今回、実にうまくいっている。就労により何がしかマインドの変化があったのかもしれないが、それは置いておくとして、表面的には人称を変えたのが大きい。前回まではとにかく一人称でしか書いてなかったし、一人称でしか書けないと思い込んでいたのだが、三人称にしてみることで急に視界がひらけた感じになった。いっぱい登場人物が出てきても、それぞれの情報、エピソードを書き放題で便利。これはいい。

もっとも不便な点もある。何でも書ける反面、いちいち調べることが多いのだ。一人称で、主人公の主観だけ書けばいいならまだ楽だけれど、いろんな人物を描くとなると、手間が一気に増える。執筆スピードも遅くなる。

ということで、遅々たる歩みではあるが、確実に筆は進んでおり、この分なら遅くとも二月中旬には完成しそう(はやければ一月中旬)。がんばろう。

2015年11月11日水曜日

表現の不自由

ひゃっほー今日も休みあさっても休み。イェイ、めーっちゃ、ホ・リ・デー!

柄にもなくテンションの高い始まり方をしてみた。もちろん実際はiMacの前で仏頂面を下げてカタカタやってるわけだが、つい「ひゃっほー」なんてタイプしたくなるくらい浮かれてる。十日間無職を経験し、気分はアゲアゲである。

さてそんな中、サラリーマン生活についてふと思い出したことがあった。表現についての問題だ。日本はもちろん憲法によって表現の自由が保障されている。だから政府はアナキストの書いたものでも殺人賛美を謳ったものでも、検閲したり発禁処分にしたりはできない。けれども日常レベルでは、表現の自由などあってないようなもの。とくに会社の中ではそうだ。

会社にいたころ、二ヶ月に一度、レポートを書くことが義務づけられていた。社長もしくは会長の動画を視聴し、それに関連させて何がしか2000字ほどのものを書くのだ。これが私はいやだった。

実際どんなものを社員が書いていたかと言えば、社長もしくは会長のメッセージに賛同するものばかり。というかそれしかない。「私もそう思います。たとえば業務でこんなことがありました。かくかくしかじか。これからもがんばります」みたいな。はっきり言えば小中学生の作文と同レベル。型がばっちり決まっていて、自由に書く余地がない。塗り絵みたいなものである。

思い返すに、世の中で文章を書かされる場合、そのほとんどは暗黙のうちにルールが指定されている。ある程度は内容まで指定されている。それが苦痛である。「自由に書きなさい」と先生は言うかもしれない。しかしそれが嘘だってことは小学生でも分かる。「殺したいほどお母さんがきらいです」と書いていけないことは分かってる。だから決まりきった筋書きで原稿用紙のマス目を埋める。国語の時間にKY精神が植え付けられる。誰得である。

たしかに国家権力による弾圧はほとんどない。しかし日常レベルでは表現の自由などあってないようなもの。会社に属していればなおさらだ。しゃべり言葉も書き言葉もみんな既存の鋳型に流し込まれて、かつて持っていたはずの語彙までも忘却の彼方、そしておそらく、思考と感性までも一定の型にくり抜かれてしまうのではなかろうか。学校出てから十余年、ザ・サラリーマンの一丁あがり。

会社員に表現の自由などない。

2015年11月8日日曜日

マリオメーカー

仕事を辞めてちょうど一週間。お恥ずかしい話、この間いちばん時間を費やしたものは何かと問われれば、睡眠を除くとこれ——マリオメーカーの動画を見ることだ。

もともとスーパーマリオはそこまで好きじゃない。ファミコン、スーファミは子どものころ人並みにやったが、マリオにそこまで入れ込むことはなかった。なのになぜか、マリオメーカーの動画には惹き付けられる。

マリオメーカーとは、今年九月頃に発売されたゲームソフトである。初代のマリオ、マリオ3、スーファミのマリオ、Wii Uのマリオのステージを自分で作れ、オンラインで世界中の人と共有できるというソフトである。現在、まさに世界中の人々がこのソフトで斬新なステージを作成し、プレイしている。

何がいいって、これほどクリエイティブなゲームもそうそうないことである。自由度がきわめて高い。土管やリフトやドアといった道具、クリボーやノコノコやドッスンといったほとんどあらゆる敵キャラ、もちろんキノコやフラワーのようなアイテムまで、すべて自由に配置できる。それらを利用し、ほのぼの楽しめるコース、一切ボタンに触れなくてよい全自動コース、音符ブロックを利用した音楽を奏でるコース、高難易度のいわゆる鬼畜コースなどが量産され、ランキングでしのぎを削っている。

こうしたものを動画で見ていると、こちとらクリエイター志望である。どうしたって興味をそそられる。自分ならこんなコースを作るだろうと妄想が膨らんで行く。下手をすると、たばこを買いにコンビニへと向かう道すがら、コースの設定やタイトルを考えている。これならランキング上位に行けるのではないかと、胸が高鳴り足取りが軽くなってくる。マリオメーカーって本当におもしろい、なんて思ってしまう。

ただ、ふと現実を見てみればこう。

テレビもない。ハードもない。マリオもそれほどうまくない。これではどうしようもありゃしない。

2015年11月6日金曜日

交通費の怪

無職となって一週間、だいたい一日に二、三冊のペースで本を読んでいる。読書に没頭できるのは何より幸せだ。他にやったことと言えばヒゲソリで右手中指を切ったのと風邪を引いたこと。そんな充実した日々を送っている。

さて、仕事を辞める前は、辞職後にサラリーマン生活についていろいろ考えようと思っていたのだが、案外もう考えることがない。総括はほぼ終わっているかのようだ。けれどちょっと心に引っかかるのは交通費の問題である。

交通費。あまり取り上げられない話題だが、しかし大きな問題だ。

学生時代、私は家庭教師のアルバイトをしていた。仕事の報酬は会社から委託費というかたちで払われていたのだが、交通費は家庭から直接もらうシステムだった。そこで、おおかた実費をもらうことにしていた。一回行くと、往復で600円とか800円とかが多かった。

けれどときどき迷うことがあった。公共交通機関を使えばバスと電車で往復1000円ほどかかるが、自転車を利用すれば往復で400円ほど浮くというケースがしばしばあったのだ。なので私は、いくらか罪悪感を覚えつつも自転車をこぎ、余分な交通費を懐に入れていた。

先日まで勤めていた会社でも、交通費に関しては一悶着あった。自宅から職場までは電車で一駅あるので、一駅分の交通費を会社から支給してもらっていたのだが、あるときから自転車で通うようになり、定期は買わずにその分の交通費は懐に入れていた。しかしやがて上司に見とがめられ、使用しないのに定期を買うはめになった。結局のところ、その定期代はJRの丸儲けである。

どうも交通費というもののシステムがよく分からない。職場までかかる費用を雇用主が負担してくれる。これはありがたい仕組みだ。だが、本来公共交通機関を利用すべきところを徒歩や自転車で移動した場合、その費用は懐に入れてもいいのではないか、とも思う。

気になったのでいまググッてみた。バス・電車を利用すると申請して自転車で通い、交通費を着服するのは詐欺や横領に当たるらしい。私は詐欺師だったようだ。ただ、交通費を満額もらいつつ金券ショップで安いチケットを買って利用することはだれも問題にしない。「賢い節約」の範疇で語られている。どうもよく分からない。

何にせよ、もうしばらく交通費も給料ももらうあてはないけども。

2015年11月3日火曜日

ユーネクストにご用心

毎月毎月、電気代・ガス代・ネット代と、生活のためにはさまざまな経費がかかるもの。今月もやや遅くなったが、これらの払い込み用紙をかき集め、金額を確認していった。電気代は2000円弱、ガス代は3000円くらい。妥当なところだ。が、ネット代のみ、いつもと様子が違った。

請求金額、合計が9178円。

おいおいこいつはどういうことだい。いつもは4000円ちょっとだったじゃないか。で、内訳を見てみると、そこには「ユーネクスト利用料」とあった。それが4556円とのこと。どうなってる?

ユーネクスト。その文字を見た瞬間、いやな記憶がフラッシュバックした。あれはもう何ヶ月前になるだろう。あるとき、一本の電話がかかってきたのだ。私はNTTのフレッツ光ネクストを利用しているので、その関係での勧誘だ。

「このたび、ユーネクストというサービスを開始致しましたのでお電話いたしました」

たしかそんな切り口だったと思う。この手の勧誘電話はよくあるから、しばらく電話口の若い男のセールストークを聞いていた。動画が低額で見放題だとか何とか。けど、その説明が長かった。もう細かいことは覚えていないが、やたら次々に説明を聞かされた覚えがある。立腹ポイント1である。

それでも我慢して一通り聞き終えると、驚きの言葉が飛び出してきた。

「もし利用されないなら、ハガキに書かれているIDとパスワードでいつでも解約できます」

おいおい、あんたは何を言っているんだい? 解約という言葉の意味をご存知ないのか? そもそも契約を交わしていなければ解約も何もないだろう。まだこっちは契約した覚えはないぞ。

なので、私はそもそも「ハガキは送らなくて結構」と告げた。これは確実に言った。だが、あちらはもう契約したこと前提で話を進めてくる。通話時間もだいぶ長くなっていたのでもう面倒になった。解約の手間を取られるという若干の理不尽さはあったものの、あとで解約すればいいと思い、電話を切った。

後日、実際にハガキは送られてきた。もちろん、YouTubeとiTunesで満足している私は、即刻解約した。したと思う。

そしてどれだけ経ったか忘れたが、なぜかこの度、NTTファイナンスからの請求書に、件のユーネクスト利用料が課せられていたのである。そもそも契約の意志表示をしておらず、その上解約までして利用料を取られるとは、NHKもびっくりの成り行きだ。

だがしかし、私の中に若干の不安要素はあった。自分は本当にユーネクストを解約したのかという問題だ。もしかしたら、ハガキを放置してしまったのかもしれない。が、Gmailを確認したところ、その疑念も払拭された。ユーネクストから「リトライキャンペーン」なるものが何度も送信されていたのである。「以前はユーネクストビデオ見放題サービスをご利用いただき、誠にありがとうございました」とある。あちらも解約したことは把握しているのである。おまけに、解約日も7月2日と明記してあった。

さて、ここでひとつの疑問が生じる。なぜ7月2日に解約したサービスの請求が今になってやってきたのか。そしてそもそも、なぜ無料期間中に解約したサービスの請求がくるのか。

こんなものは払わずにいようとも思ったが、フレッツ光ネクストの料金は払わねばならない。払い込み用紙は合算されているので、ユーネクストのみ支払い拒否することはできない。なので、一応は払った。が、納得のいくはずもない。

思い出すのは、アマゾンプレミアムの経験だ。もう何年も前、無料の言葉に釣られ、私はアマゾンのプレミアム会員になった。そして、一定期間経過後、自動的に有料会員になっていた。このときも立腹したものだが、しかし実際便利だったので、いまだに会員を続けている。それに、このときは最初の契約自体はこちらが自発的にしたものなので、まだ納得はできた。規約をつぶさに読めば、有料への移項も事前にわかったはずだ。

だが、今回は別である。そもそも勧誘の電話を受けただけで、契約などしていない。していないのに解約して、そのうえで料金を払わされている。理不尽きわまりない。それも、NTTという社会的信用のある会社と協力してやっているのである。合意なしに契約を結んだことにして料金を請求する。ひとはそれを詐欺と呼ぶのではなかろうか。

なんとかして、4556円を取り戻しに行きたい。



追記(12/25)

ユーネクストと二度メールのやり取りをし、返金してもらうことに決まった。それはもう一ヶ月ほど前になろうか。そしてつつがなく返金用の口座を記入する書類が送られて来、記入して郵送。本日、上記の4556円は無事に口座へと返金された。

メールのやり取りの中で、私はひとつ、思い違いをしていたことに気づかされた。それは、ただ即座に解約すれば無料になるというわけではなく、キャンペーンの申し込みみたいなものも同時にしなければいけなかったということである。一度目の返信では、その旨電話やハガキで伝えているはず、とのことであった。

だが、私の場合、勧誘の電話があったとき、そんなことは聞かされていなかった。なので、「そんな案内は聞いていない」と返信。すると、「こちらも案内の不徹底もあったようなので、返金します」という、だいたいそういう旨の連絡が来た。で、実際に返金に応じてもらったという次第である。

おおむね連絡は迅速かつ丁寧。他にも、ユーネクストの料金徴収が理不尽だと思った人はメールで問い合わせてみて欲しい。

2015年11月1日日曜日

先生辞めました

仕事を辞めた。つまり、塾講師を辞めた。すでに退職済みなので、もう職種を書いてもいいだろう。

十月に入ってからはもう出勤したくない気持ちが強く、一日でもはやく辞めたかった。だが、実際に最後の日となると、生徒と離れる寂しさが勝った。八ヶ月。他の講師たちに比べれば生徒との関係は短かったわけだが、それでも愛着は湧いていた。授業はへたくそでまたたくまに降板させられてしまったが、その後も毎日生徒たちは質問に来たので、関係性は着実に強くなっていた。

しかし、辞めてしまえばもう会うこともない。当然、仕事上のタブーとして連絡先の交換などもしていない。「さようなら、かわいい生徒たちよ」。昨夜、職場の鍵を返却し、さっぱり整理した机をあとにした私は、自転車をこぎながら思った。

それから一夜あけ、本日昼過ぎ、無職となった私はローソンにいった。お昼にカルボナーラとチキンとメロンパンを買った。寒さの増した空気のなかを、袋をぶらさげ、マンションの自室に向かって歩いた。すると、前から二人の中学生女子が自転車に乗って近づいたきた。おや、あれは。すれ違いざま、私は言った。

「こんにちは」

二人は生徒だった。どちらも、以前は授業で教えており、その後もたびたび質問に来ていた生徒だ。つい昨日も湿度や温度、飽和水蒸気量の問題について教えたばかり。

「こんにちは、先生!」

アラレちゃんに似ている片方の生徒が元気にいった。そして去っていった。離職の件は生徒たちには一切言っていないので、彼女らは明日も私が塾にいると思っているだろう。まさか、もう二度と姿を現さないとはゆめゆめ思ってはいないだろう。

「先生」と呼ばれることも、先の人生、もうほとんどあるまい。質問攻めに合い、「先生、はやくこっち来て!」と取り合いされることもないだろう。そう思うと寂しい。しかし、仕事に行かなくていいと思うと嬉しい。