2016年12月26日月曜日

アフィリエイト継続中

だいぶ間が空いてしまった。

前回の日記にも書いたかもしれないが、あれ以来、いわゆるペラサイトというものを量産している。トップページしかないサイトだ。そこで商品を紹介し、報酬ゲットをねらっているというわけだ。

サイトはすでに120個作った。ここのようなブログだけやっているあいだは知らなかったが、ドメインというのは簡単に取得できる。しかも安い。1個32円である。これだけ作っても、出費はたかだか4,000円弱。安い投資である。

ではどれだけ稼いだのかと言われると、1,800円の報酬が3件発生し、5,400円である。「なんだそれだけか」と思われるかもしれないが、アフィリエイトは初期の段階ではなかなか成果が出づらいので、まあ、これだけでも報酬が発生すればいい方だと思っている。

現在やっているこのペラサイト量産というスタイルはまだまだ続けていくつもりだ。サイト数が200ないし300個になるまでは、この形でやっていきたい。

アフィリエイトは、95%の人が5,000円も稼げないうちに辞めていくと言われている。だが、そのラインは越えた。そして、まだまだ伸びていける可能性を感じている。このまま続けて月収30万を達成し一人暮らしを実現したい。そしたらさらに力を入れて、月収100万200万と伸ばしていきたい。

ちなみに、最近はこのブログを書いていないわけだが、実は「ゆうきの部屋SNS」というものに入っている。そこでは2,3日に一回、日記を書いている。

アフィリエイトに関してはヒーローゆうきという人をYouTubeで発見し、この人を先生としてやっているのだが、そのゆうき師匠がSNSまで提供してくれているのである。月に100万200万稼いでいるトップアフィリエイターの方も多数いらっしゃり、アドバイスを得ることもできる。もしアフィリエイトをやっている方、興味のある方がいたら、このゆうきの部屋SNSに参加してもらいたい。無料だし、紹介もいらない。

次に日記を書くときには、月収10万を達成していたいものだ。

では、よいお年を。

2016年10月25日火曜日

サイト作成ひと段落

連日、WordPressを使ってミニサイトを作成していた。そればかりやっていたためか、ここ二週間ほどは時間の経過するスピードが半端なく、朝起きたら次の瞬間には就寝直前になっているとの錯覚を覚えるほどであった。

と、そんな生活もひと段落。WordPressでのサイト作りはここで一休みしたい。

当初こそは全6サイト、それぞれ30記事を書くとの目標であったが、一気にそこまでやることは断念した。さすがに飽きる。疲れる。ネタがなくなる。結局、作れたのは4つにとどまった。

以下、恥ずかしながら晒していこう。


(1)家庭教師になろう!

もう私は家庭教師歴も長く、そこそこ経験も蓄積されているので、そのことについて書いてみた。主なターゲットはこれから家庭教師バイトをしてみようと思っている大学生などである。

体験談の部分はランサーズというクラウドソーシングのサイトを使って集めてみた。1記事800字以上で170円ほど。20本集めたが、使い物になったのは9本のみ。使える記事を集めるにはもっと記事の書き方やフォーマットを工夫する必要があると気づいた。

(2)ど素人がネットで物を売ってみた

ここ一ヶ月ほど、アマゾンで本を、ヤフオクで不用品を売っていたので、そのことについて書いたサイト。私同様、ネットで物を売ろうと考えている人が対象。アマゾン、ヤフオクの利用料だとか、本を読むのに実質的にかかる費用だとかの計算をしっかりやったので、いずれ検索であがってくれるとありがたい。

このサイトを作っているとき、スクリーンショットの取り方、画像のサイズ調整、矢印やモザイクの入れ方を覚えた。

(3)コンビニ解体シン書

現在コンビニで働いているので、そのことについて書いた。このへんから飽きてきて、管理人を石川五ヱ門にしてみるなど迷走している。日本のコンビニ独特の会計方式については本を読みつつしっかり計算したので需要はありそう。他の記事は内容が薄い。

ヘッダー画像を用意しているとき、プレビューを使って複数の画像が重ねられることを初めて知った。

(4)小説家になるために

このブログを洗練させたようなものをめざした。エンタメ系新人賞のまとめと原稿用紙換算枚数の記事はアクセスが多いので、このブログで改めて調べ、書き直した。

また、micata2というテーマをDLし、採用している。これを使えば一気にサイトがしっかりした印象に変わることを発見した。だが、途中で力尽き、記事数は9本にとどまっている。


さらに今日は、以上のサイトにとうとう初めてアフィリエイト・リンクを貼ってみた。これは案外簡単で、ペタペタと貼ることができる。すべてA8.netの案件で、なかには「審査あり」のものもあったが、いざ申請してみたら即材に許可された形となって拍子抜けしたりした。いったいいつ「審査」をしたのやら。

ただまあ、これらのサイトでの収益はあまり狙っていない。あくまでいろいろな練習をすることが目的。実際、WordPressはじめ、画像ソフトやFTPソフトの使い方はけっこう分かってきた。アクセス解析も設置できたし、グーグルに認識してもらう方法もわかった。今後、追加で記事を書くこともあろうが、まあ、しばらくは放置である。

さて、明日はMacBook AirにBoot Campなる機能を使ってWindows 10を導入する。そしたら可及的速やかにアフィリエイター御用達のサイト作成ソフトSIRIUSを購入してサイトの量産体制へ向けて動いていこう。

楽しみだ。

2016年10月15日土曜日

WordPressは神か悪魔か

ここ数日、WordPressなるものを使ってサイトを一つ作成していた。とりわけ今日は、昼過ぎからさっきまでほぼ丸一日をそれに費やした。そしてやっと、30記事ほどのミニサイトが一丁あがり。

たいしてボリュームのあるサイトではないが、それでも大変だった。なんといっても、WordPressの使い方を覚えるのに苦労している。ここのように、無料ブログであれば、使い方というのはもう決まっている。多少のカスタマイズはできるが、その選択の幅は狭い。

だがこのWordPressっちゅうもんはかなり自由度が高い。特にプラグインというものがあって、これはまあ、機能拡張のようなものだ。プラグインを追加することにより、WordPressは進化するのだ。もともとはのっぺりした姿だったものに、ツノが生えたり、牙が生えたり、はたまた翼が生えて飛べるようになったり、腕力が強くなったりする。炎だって吐かせられるし、外宇宙を通り過ぎる小隕石を謎の力によって引き寄せて標的に炸裂させることもできてしまう。

というのは嘘だが、とにかく追加できる機能が豊富で、それだけに四苦八苦させられる。前回、「無料ブログをいくらか高度にした感じのものでしかなく、扱いはさほど難しくない」などと書いたが、それは撤回だ。難しい。

現在、私の頭の中は謎の文言と概念でパンパンだ。Jetpackは絶対に入れた方がよく、MCEナンチャラでエディタ機能を強化して、All in One SEOナントカでグーグルに媚を売り、Google XML Sitemapで魔法のファイルを作成してグーグルに媚びへつらい、アクセス解析をWordPressのダッシュボードに引っ張り込んで、AddToAnyでシェアボタンを投稿の下にずらっとならべ、PS Auto Sitemapでもくじ的なものを自動生成し……おお、なんだこの白い煙は! み、耳からだ。私の耳から、つまり脳みそから白い煙が吹き出している!

まあ、しかし、この苦労もしばしのことだろう。あと2、3個、同程度のサイトを作成すれば自然と使いこなせるようになるはず。がんばろう。

2016年10月10日月曜日

アフィリエイターへの道を一歩

アフィリエイトを、いっちょやってやろうじゃないかということで、準備を進めている。

ここ数日のメインはWordPressの使い方を覚えることだった。『WordPressサイト作成塾』というやや大きめの本を買い、律儀に1ページ目から読んで、機能や操作を覚えていった。なかにはとばした項目もあるが、だいたいは理解できた。まあ、よく言われている通り、無料ブログをいくらか高度にした感じのものでしかなく、扱いはさほど難しくない。むしろアフィリエイトをやるならばあまり難しい部分に深入りしない方がよかろう。IT企業のサイトみたいな、なんかスマートな感じで画像がフェードインするタイプのものはめざさない。大事なのはテキストだ。

それから、サーバーを借り、ドメインを取得した。自分のサイトが家だとすると、サーバーは土地、ドメインは住所のようなものらしい。ただまあ、ぶっちゃけこのへんはよくわからない。だって、サーバーは一個借りただけだけど、ドメインはもう6つ取得した。ってぇことはなんだ、土地は一箇所なのに住所は6っつって、そりゃあおかしな話じゃないかい? ……けどまあ、いい。とりあえず、サイトを作成する最低限の準備は整った。

あ、そうそう。あとはASPというものにも登録した。ASPとは、物を売りたい企業とアフィリエイターをつなぐ媒介である。アフィリエイターは直接企業に対し「商品を宣伝してやるから金をよこせ」と言うわけではなく、ASPを介してそういう交渉を行うのだ。

で、ASP登録のとき一つ自分のサイトを審査してもらう必要があるのだが、まだアフィリエイト用のサイトは更地のまんまなので、おそるおそるこのブログを登録してみた。「こんな辺鄙な、コンセプトもぶれぶれのもんを見せてくるんじゃねぇ。おととい来やがれ!」と突っぱねられるかと思いきや、案外、これで通った。わからないものである。

さらにこのブログには最近、練習や実験のためにちょっとした仕掛けを加えている。見える部分もあるし、見えない部分もあるだろう。見えない部分に関しては言えば、アクセス解析を仕込んで見た。そうしたところ、アクセスしている人の情報が丸わかりとなり、これが愉快である。ちょっとした覗き見趣味が満たされている。

さて、もう少しアフィリエイトについて調べたならば、あとはしばらく、実際のサイト作成という工程になる。やることはシンプルだが、非常に時間はかかりそうだ。だが結果を出すため、しばし集中することにしよう。できたサイトのうち、少しくらいはここでも紹介しようと思う。

2016年10月4日火曜日

金を集める

この頃、インターネットにハマっている。

何をいまさら。脳が腐ったか。そう思われたかもしれないが、違うのだ。これまではただ漫然と動画を見たりSNSのタイムラインを眺めているという時間が大半だったが、この頃は使い方が一段階進化した。ネットを使い、ものを売ったり、お金を動かしたりできるようになったのだ。

Amazonのマーケットプレイスでは73商品を出品し、20個売れた。売り上げが18,306円。これまではただ本棚に突っ込んでおくかブックオフで安く買い叩かれるだけだったので、これだけお金になってくれれば御の字である。実際は送料として平均で1個300円弱かかってはいるが、それを差し引いても12,000円ほどはプラスだ。

ヤフオクも試してみた。一ヶ月ほど前に壊れたiMacを、置いておいても仕方ないので、ジャンク品として売りに出してみたのだ。1円スタートでウォッチリストで注目を集め、最終的には60の登録、1000件以上のページビュー、そして42の入札を経て売れた。26,900円だった。素人としては放置するか粗大ゴミに出すしかない状態だったので、これだけのお金になればかなり嬉しい。

あとはランサーズに登録し、記事執筆のタスクをやってみた。おおむね、800文字前後の依頼が多く、報酬は1件で100円から400円といったところ。現在、承認されたものだけでいうと700円ほどの儲け。駆け出し中の駆け出しである。これは低報酬のもので実績を積み、単価の高い仕事をねらっていくというのが正攻法のようだ。が、ぶっちゃけそれも割りに合うかどうか微妙。見た感じ、仕事を発注しているのはかなりの割合でアフィリエイターっぽいので、自分がそっちに行った方が得だろう。ランサーズは受注より発注をメインの目的として考えていきたい。

他には、楽天証券で投資信託を購入してみた。15,000円分買った。日々、100円前後あがったりさがったりしている。けど、投資への興味はとりあえず冷めたので放置することにする。

今後しばらく、さらにネットでちょこちょこと有料のサービスを利用したり、あるいはちょっとした金儲けをやっていきたい。さて、他に部屋に売れるものはないものか。

2016年9月25日日曜日

アフィリエイトってどうよ

前々回の記事に対し、こんなコメントをいただいた。「アドセンスアフィリエイトでもやってみたらどうですか?」と。ふむ、アフィリエイトか。私はコクリとひとつ頷くと、十年ほど前の記憶を振り返ってみた。

ようやく大学に入学し、憧れの一人暮らしを開始した私は、ふんぱつしてノートパソコンを買ったのだった。今は亡きiBookである。そこでさまざまにネットを回遊する中で、こう思ったのだ。ネットを使って稼いでみたい、と。

そこでしばしネットで稼ぐ方法について調べ、アフィリエイトなる言葉を知った。どうやらブログは簡単に作れるらしいし、それでアクセスを稼いでバナー広告なぞ貼ればお金がチャリンチャリン入ってくるらしい。うまくいけばリッチな学生生活が送れるかもしれぬ。そんな思いを抱いた私はさっそく無料ブログを開設し、日記を書き、サイトにいくつかの広告を貼り付けたのだった。

しかし、結局アクセスは伸びない。もちろんアフィリエイト報酬も入らない。たしか、しばらく経って1000円程度は行ったような気もするが、結局、手続きがめんどうでほったらかしとなり、それ以来、アフィリエイトとは無縁のブログ生活となったのだった。というか、他のブログ仲間や読者の方々と交流するのが楽しく、それで満足してしまったのである。

と、そんな過去がありながらも、いま再びアドバイスを受けてみて、アフィリエイトへの興味がぶり返してきた。そこでさっそくこんな本を購入して読んでみた。

鈴木利典『プラス月5万円で暮らしを楽にする 超かんたんアフィリエイト』

一読、非常に興味をかき立てられた。興奮させられた。端的に言って、アフィリエイトというものに対しかなり希望が膨らんできた。「これならやれるんじゃないか」と、心に光が差した。

ただし、「簡単そうだ」と思ったわけではない。この本の内容は、タイトルとはうらはらに、実践したいという人に対してそこそこの忍耐力・勉強量・真剣さを求めるものである。サクッと稼げる、などという生ぬるいものではない。だが、それだけに現実味があり、実用性がある。しっかりやれば、それだけのリターンがありそうだと思わせてくれる。

アフィリエイトとは、ブログやホームページを作成し、そこに広告を掲載して宣伝することで報酬を得るというものである。となると、そのブログやホームページの内容、量と質が最重要ということになる。では、きちんと稼げる内容とはどんなものなのか。

とりあえず、私が現在アクティブに更新しているのはこのブログだけなので、ここからヒントを探ってみよう。このブログの記事でアクセスが多いのは例えば以下のものである。数字は累計のPVを表している。



この記事は投稿した直後から急激にアクセスが伸びた。コメントも、見ず知らずの人からガンガンつけられた。要は詐欺メールの被害に合いそうになったという体験談であり、同じメールをもらった人に対するアドバイス的な内容だ。コメントを見ると、みな変なメールをもらったことで不安になり、解決の方法を求めてやってきたのだとわかる。この記事を書いたとき、私はメールのことはあくまでネタ、題材として用い、面白いものを書こうとしたのだが、受け取られ方はきわめて実用的である。



ワナビブログらしく、新人賞への投稿を考えている人のために書いてみた記事である。意外にも、「原稿用紙換算枚数」についてしっかり考察してある記事はネット上にほとんどなかったのだ。あったのは少数のブログと質問サイトくらい。で、これを書いたところ、現在「原稿用紙換算枚数」でGoogle検索をするとこの記事が2位に表示されるようになった。今でもちょこちょこ検索流入がある。


この記事も、投稿して以来、継続的に検索で来た人が見ている。新人賞についてまとめた優良サイトは他にいくつもある中でここにきてくれるというのは正直意外である。


これもまあまあアクセスがある。中身はもうタイトルの通りで、一次通過の報告だ。この新人賞に応募した人たちが、他の人の通過状況はどうかなどと気になって、検索で来てくれたのだろう。案外、新人賞の結果をブログなどに載せている人は少ないのだ。「野性時代フロンティア文学賞」で検索しても、この記事がGoogleの2ページ目トップ、つまり11位に出てくる。まあ、そもそも小説家志望の人間などネットユーザーという大河の中の一滴であろうから、そんなものか。


現在使用しているMacBook Airの購入を検討していたときの記事。他にもPCの購入に関しては腐るほど専門のサイトがあるだろうに、この記事に検索で辿り着く人がいたというのが驚きである。上の例とは逆に、パソコン購入を検討している人がいっぱいいるから、こんな弱小サイトに流れてくる人もいるのだろう。

とまあ、このあたりが当ブログにしてはアクセスの多い記事である。ちなみに、普通の記事はPVがだいたい30とか40しかない。

上の例を見てわかるのは、何か不安や疑問を抱えている人がいて、それを解消してあげられるタイプのものが伸びるということだ。あとは固有名詞が含まれるというのも、アクセスをあげる条件となっていそうである。

引き続き、アフィリエイトも勉強していくこととしたい。

2016年9月22日木曜日

稼ぐ方法

投資について調べるところから始まり、現在、稼ぐ方法について考えている。考えたり調べたりしてみると、一匹のフリーターであってもさまざまな稼ぐ手立てがありそうである。以下、候補を並べてみる。

(1)本を売る

先日、Amazonに出品者としてのアカウントを作成した。つまり、マーケットプレイスにて本やDVDを売れるようになったのである。いきなり40品ほど商品登録をしてみると、この3日で9品売れた。半分程度は需要がきわめて少ない哲学の研究書であることを考えれば、かなりの売れ方と言える。

今のところ、蔵書をさばいているだけなので、「稼ぐ」のとは違うが、しかし個人で本を売れるようになったのは大きい。安く仕入れてきて売るという、いわゆる「せどり」の道もあるが、それ以上に効果があるのは、実質的な書籍費を大幅に削れるということだ。

たとえば、先日私は『株で富を築く バフェットの法則〔最新版〕』を送料含め1,227円で購入した。その後、マーケットプレイスで売却し、1,032円となった。ここから実際の送料300円を差し引いても合計の出費は500円ほど。つまり、この本一冊を読むのにかかった費用は500円である。こうして、読んですぐ売却するようにすれば、新刊であってもかなり安い費用で抑えることができる。これからはためらわずに新しい本が買えるというわけで、これはかなりのメリットである。

(2)クラウドワークスを利用する

テレビでもときどき特集されているが、最近はクラウドワークというものがある。ネットを介し、企業が仕事を発注し、個人がそれを受注してこなし、報酬を得るというシステムだ。二日ほど前、クラウドワークス大手の「ランサーズ」というものに登録してみたが、そこにはネーミング、体験記事や日記の作成、文章のリライトといった案件がかなりあった。官能小説の執筆といった依頼まである。

一件の報酬はまちまちで、安いものは100円や200円、高いものは2万などとなっている。初心者は採算度外視で安い案件をこなし、徐々に信用を勝ち取ってよりよい案件をゲットしていくという流れになるのだろう。これを利用すれば、自宅にいながらにして月数万程度の報酬くらいは稼げそうである。


(3)流木を売る

中学生の頃、美術の授業でこんなことを言われた。「授業で使うから、木を拾ってきなさい」。そこで私は親に相談し、近くのダム湖まで連れていってもらって、そこで肘から先ほどの流木を一つ手に入れた。くねくねと曲がり、人工的な断面等のない、味のある一品だった。案の定、他のクラスメイトが持ってきた材木の切れ端のようなものとは段違いで、私の流木オブジェはかなりいいものに仕上がった。

なんとなくそんな記憶が残っていたのだが、ふと、これは商売になりうると思った。なにしろ、ダム湖で流木を拾ってくるのはタダである。で、ネットを調べてみると、流木は実際に売っている。ヤフオクにも出品されている。これはチャンス。ダム万歳。祖母の通った小学校が水底に沈んだ甲斐があったというものである。

ただ一点、この商いにネックがあるとすれば、流木の処理に半年前後という時間がかかるところ。まだ詳しく調べていないが、どうやら拾ったまんま販売というわけにはいかず、煮沸したり水につけたりなど、かなりの処理が必要となるらしいのだ。そこの方法論を調べ、あとは待つことさえできれば、これも希望が持てる。

(4)公募ガイドで懸賞に応募

いきなりベタで申し訳ないが、こういう方法もある。実はこれは十年近く前に少しだけ試したことがあり、その際、ある温泉街がやっているラブレター募集のもので、青年会賞みたいなものを頂いた。賞品はけっこういい湯のみであった。そのとき懸賞のために割いた時間はたしか数日でしかなかったので、それで湯のみ一個というのは大きい。

さらに、そのときは売るという発想がなかったのだが、今は、ヤフオク等で売ることを覚えた。なので、懸賞で現物をもらった場合でも、それをネットで売ることで現金に換えることができる。これは手軽にはじめられて、ある程度効果を期待できる。

(5)アイコス本体の転売

こんどは思いっきり具体的な案である。現在、電子タバコのアイコスが大人気である。アメトーークで特集されて以来、一気に需要が伸び、まだ生産がまるで追いついていない。私がアルバイトをしているコンビニにはほぼ連日のように「アイコス本体ありませんか」との問い合わせが来ている。だが、常に品切れである。

もともとアイコス本体の定価は1万円ほどだが、ヤフオクなどでは15,000円ほどの値段がついている。もし、一個を定価で仕入れられて、相場で売れれば、5,000円の儲けだ。10個転売すれば5万円にもなる。

そして、ここが重要だが、私はアイコス本体を扱うコンビニでアルバイトをしており、ほんのときたまアイコス本体が仕入れられるタイミングを知ることができる。そう、ほぼ常に品切れとはいえ、まれに入荷することがあるのだ。おまけにそれは、わがコンビニの店舗でおそらく共通した日である。だから、その日にわが系列のコンビニ店舗をめぐれば多数ゲットできる公算がでかい。こんど入荷することがあったら、万札をにぎりしめ、店舗を巡ろうと思っている。


(6)デイトレとFX

これは前回までに書いたので省略。どちらも勉強が必須だ。ただし、アマゾンで本を売ることを覚えたので、躊躇なくそのための本を購入できそうである。

(7)アフィリエイト

前回の記事に、アドセンスアフィリエイトで稼ぐのはどうかとのアドバイスを頂いた。これも検討してみる価値がありそうである。まさかこのブログにアドセンスを張ったところで稼げるはずもあるまいが、物販用のブログを作ったり? するんだろうか? よくわからないが、方法があるんだろう。


さて、いろいろな稼ぐ方法について書いてみた。いずれも可能性を感じている。ただし、いずれにも共通しているのは、どれも努力を必要とするということだ。「ネットで稼ぐ」とか「パソコン/スマホひとつでお小遣いゲット」みたいな文言を目にすると、何の労力も使わずに稼げるような気がしてしまうが、結局、そんなものはない。どれもそれなりに目先がきいたり、努力できたり、そういう能力を要する。

どれも試してみたいものばかりだが、しかし、目下、小説がクライマックスにさしかかっている。これをとにかく、仕上げてしまいたい。そのために二、三週間はかかるので、まずはそっちを片付けてからにしよう。

2016年9月15日木曜日

株式投資は技術、されど……

前回の続きである。

あれからさらに数冊本を読むなどしてみたが、もっとも決定的だったのは与沢翼の動画である。彼が金融や投資について、あるいは富裕層になるためのマインド、人生哲学など幅広く語っている一連の動画があり、それを見てだいぶわかってきた。グローバルトレーダーズスクールと検索すれば無料動画が1話から13話まであるので、興味がある人は視聴してみて欲しい。

結論から言えば、株式投資はノウハウと技術のようだ。もちろん運の要素があることも否めないが、やはり与沢翼は勝つべくして勝っているのだとわかる。しかも、FXでもそうである。私は、少なくともFXはギャンブルだと決めつけていたのだが、そうではないらしい。上記の動画シリーズの第5話を見れば、まさにFXで利益を上げている様がそのまんま、トレードの画面ごと見られる。

しかし、それでは株取引をやりたいかと再び自分に問うてみれば、答えは否である。

たしかに、与沢翼レベルまで行けば勝つべくして勝つことができる。だが、彼は二年ほどかけて驚異的な集中力と濃度で徹底的に勉強している。もともと彼はフリーター(ヤンキー?)だったところから十ヶ月ばかりの受験勉強で早稲田に合格したというような秀才であり、一般人とは学習能力がまったく違う。私も学習能力に自信がないわけではないが、彼にはとうてい敵わない。比較にならない。

もしあそこまで修練を積むとなると、数年間というものをトレードに捧げる必要がある。だが、そこまではできない。そこまでの熱意もない。何より、小説を書かなければいけない。そんながっつりした浮気はできない。

そんなわけで、与沢氏の動画を見たせいで、投資に関しては若干打ちひしがれている。あれは自分には無理である。


しかし、彼の動画には、投資云々は抜きにして、学ぶべきものが多くある。たとえばそれは、「千里の道も一歩から」という心構え。彼のキャラクターとは正反対のようだが、彼はそのマインドを非常に大切にしている。何か大事をなそうと思えば、地道に、泥臭く、種を蒔くことが大切だ。当たり前のことだが、忘れそうになることだ。何か目標を決めたなら、その他のものすべてを切って、仙人のように、修験者のようにならなければいけない。右顧左眄してはいけない。

目下、私には何の芽も出てはいないが、泥にまみれ、種を蒔く作業を続けようと思う。忍耐が大事。

2016年9月5日月曜日

株式投資は運なのか技術なのか

ここ二週間ほど、投資について勉強している。

もともと株については知識がほぼゼロだったが、超入門のような本から手をつけ、十冊ほど読み、だいたいの概要はわかった。基本的には安いときに買い、高くなったら売る。このトレードで差益を得る。あるいは配当金を受け取る。こうして儲けるわけだ。

少し本を読むと、個別の企業の株だけでなく、投資信託というものが存在しているとわかった。これは組織に属するプロの投資家の人たちが個人の代わりに資金を運用してくれるというものだ。たとえば日経平均株価やトピックスといったものに比例するような率でいろいろな株を買い、それを分割したものを、私たちは又買いすることができる。これをインデックスファンドやらETFと呼ぶ。これにより、ひとつの銘柄に投資した場合のリスクを避けることができる。

といった具合に、細かな知識はいろいろついた。けれども、まだ根本的に疑問が残っている。それはこういうことである。

結局、株式投資は運なのか? あるいは技術なのか?

この疑問が解消されない。

たとえばつい先ほど読み終えた『全面改訂 ほったらかし投資術 インデックス運用実践ガイド』(朝日新書)によれば、上で述べたような、株式市場全体に連動するような投資信託を買うのが結局はいちばんいいという。つまり、個別株を目利きして売買しても、結局は儲けられないという前提である。下手にリスクをとるくらいなら、年利4%程度でもいいから無難にインデックスファンドやETFといったものを買いましょうよ、ということである。

この話には信憑性がある。だが、一方で退屈でもある。「こちとら株取引で億万長者という、わらしべ長者的な話に惹かれてんだよ」という飽き足りなさが湧いてくる。

そこで気持ちを持っていかれるのはやはりテレビやネットで時折話題となる若き株長者たちのサクセスストーリーだ。まだ二十歳そこそこで、しかも元手100万200万程度でトレードを開始し、数年で資産数億、数十億、はたまた数百億。そんな夢を実現したBNF氏、神王リュウ氏、さらには与沢翼氏にいかんともしがたい憧れを抱いてしまう。

冷静に考えれば、こう解釈するのが妥当である。つまり、彼らはただ運によって成功しただけである。同じようなことをした何千、何万という人の中から、たまたま成功した人が我々の前に姿を現しているにすぎない、と。

ただ一方、別の疑念も湧く。正直、BNF氏と神王氏はそうした偶然によって出てきた人のようにも見えるが、与沢氏は事情が違う。彼はもともと情報商材の世界で大成功し、メディアにもよく露出していた有名人だ。そんな人物がただ偶然で成功したとは考え難い。テレビではあまり伝えられないが、彼は度外れた努力家、勉強家であり、ただの運頼りに走るような人間ではない。

となると、やはり疑問は深まるばかりだ。

株式投資は、ただ偶然性によって支配されるギャンブルにすぎないのか。あるいは、よく勉強し、調べ、自分の頭で考えて、さまざまな技術を身につければ勝てる性質のものなのか。この単純な二者択一が、まだよくわからない。

しかし、最初からギャンブルと思ってしまったらおもしろくない。とりあえず、しばらくはそれをひとつの技術、大げさに言えば「道」(空手道とか柔道とかの道)と捉え、調べてみようと思う。

ちなみに、今日はネットの証券口座を三つ開設した。ほどなく書類が届き、いつでも投資できる状態になる。ひとつ問題があるとすれば、投資のための元手が2万ほどしかないということくらいである。

2016年8月26日金曜日

壊れるし事故るし落選するし

もう二週間ほど前になるだろうか、数年来愛用していたiMacが壊れた。

初期対応を適切に行っていれば、データは消えても使用は可能な状態に復帰できたはずだが、触るたびに事態がこじれ、遂にOS自体が起動しなくなった。非常事態用の起動画面すらもはや出ない。

そこで、しばらく迷ったのだが、これまで小説執筆専用と決めて使用してきたMacBook Airを初めてネットへと接続し、これを書いている。やや不本意ではあるが致し方ない。

それにしても、このiMacの故障を皮切りに、不運や失敗が絶えない。次から次に不運や失敗に襲われている。先週はあるスーパーの駐車場で車を排気ダクトの設備にぶつけてしまった。物損事故である。急いでいたり疲れていたり、さまざまな要因が重なり、そんな有様である。あるいはコンビニバイトで非常に組んでいてやりやすかった仲間が二人立て続けに辞めたり、家庭教師の案件がおじゃんになったり、猫が深夜に私の布団でおしっこをしたりと、もうドミノである。あ、そうそう。自信満々だった新人賞にも一次選考で落ちた。

ただ、iMacが使用不能となったことで生活に変化が出てきた。これまでiMacの前に座り、漫然と時間を過ごすことが多かったが、その時間がなくなったわけだ。MacBook Airを代わりとして使ってはいるが、やはり画質、画面の大きさ、操作性などの面で劣るため、iMacほど長時間使用はできない。これでいくらか、生活をいい方向へ向けていきたい。

人間万事塞翁が馬と唱え、今夜はもう寝よう。

2016年7月30日土曜日

野蛮への転落

前回、人間の能力の差について書き、優れたものが生き伸び、劣ったものが淘汰される世の中がいいと述べたが、19人が亡くなった相模原での殺傷事件を受け、この考えの危うさに気づいた。

能力のある者が報われる。結果を残した者が評価される。それ自体は悪いこととは思われない。だが、この背後では、能力のない者、結果を残さない者、あるいはそうした可能性がそもそも低い人たちが蔑まれているのかもしれない。

障害を持った人を差別してはいけない。まして、殺していいということにはならない。これはほとんど自明のことに思われる。まともな人間ならわかるようなことだ。しかし、高い能力が評価され、競争が煽られ、勝者と敗者が画然と別れる、そんな世の中の風潮が昂じれば、やがて、そんな自明に思われることさえ破棄されるのかもしれない。実際にそうなったのがナチス政権下のドイツであった。当時のドイツではユダヤ人虐殺に先だって、多くの障害者たちが殺されてしまった。

というわけで、能力の差とそれによる競争を礼賛する思想は危険だ、ということがわかった。けれども、世の中全体としてこの流れが変わることはそうそうないだろうし、私自身も、基本的にこういう風潮がきらいではない。ただし、障害者を社会の厄介者であるとして殺してもいいという社会はもちろんいやだ。それは間違っている。けど、前者から後者へは、実は、「必然的に繋がっている」のではないか、との疑いもある。

それを主張したのが、第二次大戦期を生きたユダヤ人哲学者、アドルノとホルクハイマーだ。彼らは『啓蒙の弁証法』の中で、「合理主義は野蛮へと転落する」と言った。言い方を変えるなら、「啓蒙は神話へと必然的に至る」。つまり、近代が作り上げた合理主義、啓蒙の精神というのは、必然的に、ナチスによる蛮行に至るというのだ。

ひょっとしたら、いま一億総活躍社会などと言われる日本で、そうした「野蛮への転落」という事態が起こりつつあるのかもしれない。

2016年7月9日土曜日

能力の差

人間の能力にはかなりの差があり、それは学生時代からはっきりと露見している。先日、教育格差というタイトルで記事を書いたが、それをまた実感する光景を目にした。

私はよく公民館的な場所で——仮にプラザとする——原稿を書いているのだが、その近所の高校が試験期間に入ったことで、平日の日中であっても制服姿の高校生が集まってくるようになった。普段はお年寄りばかりだが、ここ一週間ほどはほとんど学生らで席が埋まっている状態だった。

そこで、二種類の高校生がいることに気がついた。一方はまともに試験勉強に取り組んでいる人々。彼ら彼女らは模範的に勉強に取り組んでいた。一人用の席でもくもくとやっている者もいれば、四人掛けのテーブルについて相談しながらやっている者もいた。こないだ私の隣のテーブルにいた女子高生二人は二進法についてああだこうだとしゃべりながらやっていて、私はそんな光景を感心しながら見ていた。

そんなまじめな学生が多数の中、全体の二割ほどではあるが、不真面目な高校生もいた。こちらの人々はそもそも席に着かず、大きな階段のような場所に陣取り、座ったり寝そべったりといっただらしない恰好でずっとおしゃべりに興じていた。私がいた二時間弱のあいだ、彼らはまるで勉強するそぶりを見せなかった。

勉強せずにただおしゃべりに興じる。それは、プラザにおいてルール違反ではない。マナー違反でもない。そういうこともしていい場所だ。だが、わずかな距離をへだててしっかり勉強する一群とそうでない一群を見比べ、ここでも能力の差というものを強く実感した。

階段でだべっていた彼らの何が劣っているのか。それは、プラザに来ているのに勉強していない点だ。もし勉強がいやならいやで、家やどこかの娯楽施設で遊べばいい。それならいい。しかし、そこへ来ているという時点で、十中八九、仲間内では勉強しようという話になっているはずなのだ。なのに、いざ来てみると、勉強していない。ここに、彼らの不徹底さというか、優柔不断さを見る。

また別の話だが、家や部屋の片付けというのも如実に能力が反映される。今日は新しくある生徒の家庭教師を担当することになり、その家を訪れた。まだ築五年ほどであろう、新しくてそこそこ大きな一軒家だった。庭から玄関、階段からリビングへ通されたのだが、きれいに整理されており、余分なものが少なかった。

ここでの比較対象は私の実家だ。私の実家にはものが溢れている。築二十年ほども経つから、ある程度ものが増えるのは仕方ないが、それにしても、ところどころ動線を妨げる形で荷物が置かれていたり、掃除の手が行き届かなくて汚れが沈着しているような箇所もある。家や部屋に、適性な量のものを配したり、掃除のしやすさを考慮して家具を置いたり、そういったことができるかどうかも一種の技術であり、能力の差である。これによって生活の利便性やクオリティーも変わってくるだろう。

このように、さまざまな面で人間の能力の差というのは生じている。しかも、能力を伸ばそうと意識している人間は、あらゆる面で、それこそ片付けや掃除といったものにおいても、その能力を伸ばしてゆく。そもそも、物事を技術として捉えることすらしていない人間は、たとえ五百年生きたとしても、何ひとつ身につけることはできないだろう。能力の差というのは広がる一方だ。

そして、今後の社会では個人の能力の差というのがこれまで以上に大きな意味を持ってくるだろうと思う。有能な者は生き延び、無能な者は淘汰されて死んでいく。それは残酷な世の中だ。けれども、ある意味では清々しい、爽快な世界だ。そういう場所で生き延びていきたい。

2016年6月30日木曜日

物語の離陸

小説執筆はさまざまなものに喩えられる。マラソン、山登り、それから、ええと……。まあ、あまり思い浮かばなかったが、ほかのものに喩えて語られることがある。私が自分で書いていてよく思い浮かべるのは、飛行機の航行である。

一本の長編小説が十万字程度だとすると、私の場合、第一章はたいてい一万五千字ほどになることが多い。ここで、いちばん大事なプロローグ的な場面があり、メインキャラクターがほぼすべて出そろい、話が駆動していく。基本的な設定を出したり、キャラクターを立たせるなど、大事な要素の多い部分だ。それだけにかなり迷うし、時間がかかるし、何より不安である。

だが、この最初の一章を終えると、ふっと、物語が離陸する感覚におそわれる。それまでは形になるのかわからない、ひょっとしたらボツになるかもしれないものが、ある程度の輪郭と方向性を得て、飛び立ってゆく感じがする。外出先で第一章を書き終えて、家へ向けて車を運転しているときなどに、ふと「離陸したなー」と思う。

こうなるともう、かなり安心する。あとは何とかなりそうだと思う。ここが飛行機との類似点だ。飛行機を飛ばすときも、危険なのは離陸と着陸である。ぼんやりした知識ではあるが、飛行機も、離陸を安全に成し遂げれば、上空を飛び続けることはさほど難しくないらしい。自動操縦だって使える。小説も、安定飛行に入ってしまえばもう破綻する危険性は少ない。どういう内容になるかは置くとしても、小説としての体をなさないという最悪の事態にはほぼなりえない。

というわけで、そういう段階に至り、いまは気持ち的に楽だ。第一章でセットアップしたものを膨らませ、ドライブさせ、なるべくいいものにしていきたい。そして、しばらく先のことだが、もう一つの難関である着陸も上首尾に行いたいものだ。

2016年6月28日火曜日

飽きる力

ちょっと前に流行した新書風のタイトルにしてみた。今回は飽きることについて、しかもそれを能力として捉えて、考えてみたい。

なにかに飽きるというのは、いいことなのかどうか。まず、それまで好きだったものを好きでなくなるという点から考えれば、これは寂しいことであり、歓迎すべき事態ではない。ずっと好きだったものが楽しめなくなるというのは悲しいことだ。

だが一方、同じようなものを延々と飽きずに楽しめるというのも問題がある。時間をつぶすという点ではいいが、同じようなものばかりに接していると、新しいものを取り入れられない。本来、自分が潜在的に好きなはずのものすら、視界に入って来ないおそれがある。これは重大な機会損失だ。

そして、自分が作り手になろうと思えば、何かに飽きないということは、致命的ですらあるかもしれない。

たとえば小説でもいい。既存の小説にずっと飽きず、いくらでも読んでいられるならば、それで十分楽しい。満足できる。となると、わざわざ自分で新しいものを書こうという気にならないだろう。つまり、飽きないということは、創造性を育まないのだ。すでにあるものに安住するようになってしまう。クリエイションは往々にして、すでにあるものに飽き足らないから、それを改変したり換骨奪胎して新しいものを作り出すという流れになっている。だから、「飽き足りている」状態というのは、クリエイターにとっては致命的だ。

そうなると、理想的には、どんどん好きなものを増やし、それらにどんどん飽きていくべしということになる。次々に新しいものを取り入れ、飽きていくというサイクルがいいということになる。だがそうなると、一つのジレンマに直面する。つまり、そんなことを続けていたら、いつか楽しいものがなくなってしまうんじゃないかということだ。

もちろん、小説にしろ映画にしろ漫画にしろ、すでにコンテンツというのは人間が一生かかっても消費しきれないほどのアーカイブは存在している。だから、未消化のものは常に膨大に残る。だが、そもそもジャンル自体に飽きるという可能性はある。そうなったら、寂しいことにならないか。

享受する側としては、実際、寂しいかもしれない。けれど、そうなったら、やはり自分で新しいものをどんどん作るか、あるいはもう、まだ飽きていないジャンルに移るしかないのだろう。飽きる力の向上には、少し哀しい運命が待ち受けている。

2016年6月24日金曜日

教育格差

子どもたちに教育格差が広がっていると言われている。親に経済力があればその子どもは私立の学校に通ったり塾に行けたりする一方で、そうでない親の子は、良質な教育を受けられないという話である。このごろは、経済的な問題で大学進学を諦めざるをえないといったことも聞く。

しかし、私が感じているのは少し別の教育格差だ。

私は現在、家庭教師をやっているが、先日、ある一人の生徒が辞めた。中学三年生の男の子で、成績は下の下。公立の中学校に通っていて、定期テストではクラスの下から三番目あたりという子だった。とりわけ数学はひどく、小学校のドリルからやらせねばならないという惨状だった。

だが、問題だったのは勉強のできなさではなかった。むしろ、向上心のなさだった。いま勉強ができないことはたいした問題ではない。いまできずとも、少しずつ努力していけば、成績はあがるはずだった。実際、地頭がそれほど悪いとも思えなかった。だが、彼は私が課したわずかばかりの宿題もやらず、最後には指導中にも言うことを聞かなくなり、勉強を放棄してしまった。

こういう生徒はたまにいるが、すごく不思議に思う。一方では、宿題をちゃんとやり、私が言うことをしっかり聞いて理解し、自分から質問してくる子どもがいる。そういう子のためには私の方もミニテストを作ってきたり、授業の準備に時間をかけたり、いろいろと手を焼くようになる。他方で、だめな生徒に対してはこちらもやる気がなくなり、労力も使わないようになる。

つまり、家庭教師を雇えるかどうかという格差ではなく、雇った家庭の子どもの中に、圧倒的な格差が生じているのだ。

これは学習塾でも強く感じていた。学習塾の費用は決して安くない。どの家庭もかなりの負担をしている。だが、できる子どもはその費用をはるかに越えるほど、塾と先生を使い倒す。授業は真剣に聞き、自習のために足繁く通い、先生を質問攻めにする。もっと問題を解きたいと言って教材のコピーを頼む。その一方で、できない生徒はいっさい質問をしないし、自習もろくにせず、むしろ教師との関係を悪化させてストレスを溜め込んだりする。怒られて泣いてたりする。だが、かかる費用は同じなのだ。

同じ教育の機会を与えられていても、その活かし方はできる人間とできない人間とで天と地ほどの差がある。この差は途方もなく大きい。中学生ではもう歴然とした差が生じ、その差は歳を重ねるごとに双曲線のように広がっていく。

幼いころの能力の差が、長きにわたる将来を決定してしまう。残酷な話だ。

2016年6月17日金曜日

もうひとつの次元

次元について考えている。ルパンの相棒ではなく、ディメンションのほうだ。

数日前から、ハーバード大の美人教授であるリサ・ランドールの著書『ワープする宇宙』を読んでいるのだが、これが実に刺激的である。平易な文章によって、多次元世界、あるいはパラレルワールドについて書いているのだ。

いま私たちのいる宇宙というのは、三次元の空間に時間の一次元を足した、四次元の世界である。だが、リサ・ランドールによれば、これより多くの次元が存在する可能性があるのだという。しかも、ひも理論によれば、それは十次元ないし十一次元という、かなり多い数であるという。

もしこれが本当ならば面白い。私たちの空間は三次元だが、実際には四次元あって、その四次元空間のなかには、ドミノの牌のように、三次元世界が間隔をあけて存立しているというのが現実かもしれない。つまり、唯一の宇宙であると思っていたこの宇宙は、無数にある宇宙のうちの一つに過ぎないのかもしれない。であれば、他の宇宙には私たちとは違う知的生命体がいて、独自の進化を遂げているのかも。いや、もっとおもしろいのは、私たちの宇宙とほぼ同じでそっくりなのに、微妙に違う宇宙があるという考えだ。さまざまなバージョンの宇宙が無数にあるんだとすれば、それは楽しいものである。

あるいはさらに、四次元空間をそもそも住処とする生命体がいれば、それもまたおもしろい。四次元猫とか、四次元少女がいれば、ぜひ会ってみたいと思う。五次元ナイジェリア人とか六次元舛添要一とかも、何やらすごそうである。

よくわからない話になってきたが、次元がいま思っているより多くあるかもというのは、想像するだけでわくわくする話だ。今後研究が進み、実証的に明らかにしていって欲しい。

だが、ふと考えてみると、創作活動をするというのも、余分な次元を持つことに似ている。とりわけ小説というのは、そのなかに空間の広がりと時間の流れを持っている。そして、現実と似て非なるものである。現実とはいくらか違う、独特の法則に縛られている。とすれば、創作活動を行うこと自体、別の次元の宇宙にコンタクトすることなのかもしれない。実際、創作というのは、文字通り「余剰の」「余分な」次元である。普通の世界の人々は、ある人間を見て、その人が現実とは別の時空を持っているなどとは認識できないのだから。

2016年6月16日木曜日

女はひとの悪口ばかり言っている

ようやく新作に着手した。見切り発車であることは否めないが、手を動かすことによって何かが思い浮かぶこともある。実際、いろいろ思い浮かんでいる。このあたりの機微は大学受験の数学で培った感触が役に立つ。何事もがんばっておくものだ。

さて、以前にも書いた通り、今回の作品は自宅以外で書いている。少々遠いが、三十分ばかり車を走らせ、無料で使える地域のコミュニティスペース的なところやタリーズなどを利用している。とくに前者はついこのあいだ初めて足を運んだのだが、大学のキャンパスにある建物みたいで、実に居心地がいい。税金も払わずにこんなに利用していいのかと思うほどである。

そういう公共の空間というのはほどよく騒音があるからいいのだ。ほどほどの物音、話し声、BGMというのは想像力を掻き立ててくれる。筆の運びをなめらかにしてくれる。ただ、ひとつ気になることがある。それは、女性たちの会話の内容についてだ。

私が小説を書いていると、たいていどこかの席で女性たちが三、四人集まって雑談をしている。主に年配の女性たちだ。別に、雑談をすること自体は構わない。コミュニティスペースもカフェも、そういう場所なのである。だが、少々気になるのは、彼女たちが例外なく、いつでもどこでも、だれかの悪口に花を咲かせているということだ。

これは驚くべきことである。私は別に、特定の集団といつも鉢合わせるというわけではない。私の近くにすわる人は決まってはいない。さまざまな人がいる。だが、みんながみんな、それが女性でありさえすれば、共通の知人のことを悪く言っているのである。

「あの人はちょっと常識に欠けてる。配慮が足りない。こうするのがまともでしょう? あたしあの人に言ってやろうかと思うの。こんなこと言われてびっくりしちゃった。どうかと思うわよ。もっと他に言い方があると思わない? あたしの身にもなってみてよ。もう付き合ってらんない。あれじゃ通用しないわよ——」

といった文言がたえず聞こえてくる。それはもう、恐ろしいものである。

私の経験上、男同士で集まっても、だれかの悪口が主題となることはなかった。ときにはだれかのことを話には出すが、そしておかしな点を指摘することもあるが、それはあくまで話のネタとして、面白いと思うからしゃべるだけだ。素で悪口や陰口をたたくことはまずない。もし本当に問題があると思ったり、嫌いな人物がいれば、だれかとそれについてしゃべることはないだろう。ただ、個人的に相手の不利益になるように動くか、付き合いをやめるだけである。

男女の差についてはさまざまに言われるが、男の私にとっていちばん不可解な女の習性は、集団で悪口を言うというものかもしれない。

2016年6月11日土曜日

スポーツは何の役に立つのか

最先端の科学の研究というのはなぞが多い。素粒子だとか、ひも理論だとか、ニュートリノだとか、実に日常生活からはかけ離れている。最近も、百何番目だかの元素が発見されてニホニウムと名付けられたなんてニュースがあったが、そのニホニウム、生まれてから千分の二秒で消滅してしまうそうで、どんなもんだか想像しづらい。

で、そんな話に接したとき、よく発せられるのはこんな問いである。

「それって何の役に立つの?」

私はこの問いが嫌いだ。自然科学は、すべて実用性のために研究されているわけではないし、最先端の知見というのはいつどうやって有用なものに転化するかわからない。そんなもの、予めわかりようがない。そもそも、知のフロンティアを開拓することそのものが目的なのだ。目的たりうるものだ。これを手段としてしか見れない精神は、実に貧困である。

だが、今回言いたいのはそういうことではない。科学に対して「何の役に立つの?」と問う人々に対して、私がいつも抱く疑問があるのだ。つまり、科学にはその問いを突きつけるのに、なんでスポーツには同じことを言わないの? ということだ。

スポーツ。私から見るとこれほどなぞに満ちたものはない。いや、素人が娯楽とか息抜きにやるのはいいのだ。それはレジャーであって、ぜんぜん理解できる。しかし問題はプロスポーツである。いったいなぜ玉を蹴ったり打ったりして、億単位の金が動くのだ? みなが熱狂するのだ? それが解せない。

スポーツというのは何の役にも立っていない。はやく走ったり、たかく飛んだり、ボールを遠くまで投げたり、遠くまで打ったり、そんなことをしても、われわれの生活には何の影響もない。有用性ということで言えば、スポーツはゼロである。

もし科学に有用性を求めるのであれば、ウサイン・ボルトにもこう問うてもらいたい。彼が百メートルを全力疾走し、世界新記録を出したその瞬間に、こうインタビューしてもらいたい。

「はやく走って、何の役に立つんですか?」

イチローに対しても、同じように問うてもらいたい。日米通算で歴代最多安打を達成したその試合後のインタビューで、「おめでとうございます」の第一声のあと、こう尋ねてもらいたい。

「だけど、玉を打って何の役に立つんですか?」

そして、キレたイチローにバットでぼこぼこにされて欲しい。

2016年6月9日木曜日

どこで書くか

小説を書いていると、何を書くか、どう書くかということを考える。対象と、方法である。しかし、もうひとつ重要なことがある。つまり、どこで書くか、だ。環境である。

ここ二、三作について言うと、私はアイデアを出すときは喫茶店やファストフード店などを利用し、本編の執筆は自宅でやっていた。ある程度まわりがざわざわしていたりBGMがあった方がアイデアを出すのにはよく、場面をシミュレーションしたり文章を書いたりするには集中できる自宅の方がよかった。

ただ、それが正解とも限らない。四つ前、五つ前くらいの作品は本編を書くのにもカフェなどを利用しており、それはそれでうまく行っていた。とりわけ発想の飛躍であるとか執筆スピードに関しては、少々気が散るくらいの環境の方がよかった。静かな自宅で書く場合、ひきしまった文章は書きやすいのだが、逆にスピードが遅くなる。それに、どう表現したらいいのか、集中できすぎてやりにくかったりする。

ここが勉強と違うところである。私はマクドナルドやカフェで勉強するということができない。やろうとも思わない。だが、創作の場合はケースバイケースになる。経験上、作品のトーンや気分によって変わってくる。だから、普遍的な「執筆に適した場所」というのは存在しないようである。

今日は試しに、よく行くショッピングモールに入っているタリーズでやってみた。席数もさほどない、小さな店舗だ。その窓際の席で、ノマドワーカーよろしくマックを広げてみたのだが、冒頭の一文が書けた。なかなか自分でもいいと思える一文が出てきたのだ。おそらく、自宅にいたら書く気にすらならなかったし、書こうとしても出てこなかったであろう一文が、だ。

今度の作品はたぶん、カフェなど自宅以外での執筆が向いている。しばらくその方向でやってみようと思う。コーヒー代がかかるのが痛いけれども。

2016年6月7日火曜日

社会人入門

今年ももう六月である。四月に大学を出て就職した人の中には、なかなか社会人としてうまくやれていないという方もいるだろう。あるいはまた、来年の就職のために動き出した学生の中にも、社会に出てちゃんとやっていけるのだろうかと不安を抱いている方がいるかもしれない。

そこで今回は、社会人として八ヶ月の経験を有する私が悩める若者たちにアドバイスを送りたい。まっとうな社会人としてやっていくための方法や考え方を、僭越ながら、以下に四つ述べさせていただこう。

第一に、「組織のために尽くすこと」。

社会人とは、正確に言うならば会社人である。つまり、会社という組織に雇用された人間のことだ。このような人は所属先である組織なしには生きることができない。それゆえ、常に、組織の利益および存続が個々のプライベートよりも優先されるのである。

社会人は始業時間よりもはやく出社し、就業時間よりも遅く帰宅するのが暗黙のルールである。かなりの場合、就業時間外の労働に対しては給与が発生しないが、それに対して不平不満を言ってはいけない。よろこんで労働力を搾取されること。これこそが社会人として求められる基本であり極意である。

こうした理由から、有給休暇をなるべく取得しないことも必要だ。有給を取得しないということは、サービス残業と同じく、会社によって労働力を搾取されることにほかならない。だが、それゆえに甘受すべき事柄である。労働力の無償奉仕こそ、社会人としての本懐なのだ。さらに、会社の経営状態によっては月百時間以上におよぶ残業や過酷な条件での労働も必要となるため、場合によっては、自己の基本的人権を放棄しよう。過労死に至らない限り、個人の健康や生活を優先することはすべて「甘え」もしくは「学生気分」と称され、社会人にとっては最大の恥辱となる。

第二に、「組織の価値観に合わせること」。

ただ労働力を提供するだけでは足りない。搾取されるだけではいけない。社会人たるもの、その内面においても、可能な限り会社組織の価値観に染まらなければならない。独自の価値観を持ったり、自分でものごとを考えたりするのはタブーである。会社の繁栄をわがことのように喜び、凋落をこころの底から悲しめるようになろう。

その際、法律や道徳を気にしてはいけない。たとえ違法であり社会規範に背く行為であったとしても、会社の意向であればそれに沿うようにふるまわなければいけない。こうした意味で、会社ぐるみの偽装・不正会計に荷担した大企業の社員たちは社会人の鑑である。見習うべし。

第三に、「夢を捨てること」。

会社は個々の従業員の夢になど興味がない。それが会社の発展に関係がないとすればなおさらである。むしろ、会社の労働以外のものに時間と労力を割かれては困るのである。だから、個人的な夢はなるべくはやい時期に捨て去ることだ。

ただし、叶えるつもりのない夢は持ってもさしつかえない。夢を持ちつづけるのは精神衛生上いいことだから、その意味での夢は持っていてもいい。だが、それを実現しようとしてはいけない。努力してもいけない。せいぜい、飲み会の席で「実はこんな夢があるんです」と語る程度に留めよう。就職から数十年が経過し、もはや手遅れだろうと思われる年齢になったら「おれにも若いころこんな夢があったんだ」としみじみ語ることも問題ない。

しかし、基本的には夢は持つべきではない。一生涯、自分は何者でもないのだということをこころに刻んでおこう。

最後に、「働く理由をつくること」。

上記の一から三を読んで、なかには社会人としてのハードルが高いと感じた方もおられるかもしれない。組織のために自分を殺したり、夢を捨てるくらいなら、社会人なんかまっぴらだと思われたかもしれない。実際、世の中にはいちど社会人となっても途中でドロップアウトしてしまう人もいる。日々あくせくと働き、自分はなんのためにこんなことをしているんだという疑問も湧いてくるかもしれない。最後に、そうならないための方法をひとつ提案しよう。

それは、結婚して家族を持つことである。結婚して——男性目線となってしまい恐縮だが——できれば奥さんには専業主婦になってもらう。そして、子供ももうける。すると、独り身であれば辞めてしまおうかと思うような仕事でも、「家族のために働く」という強力な理由付けができる。おまけに、こうしたセリフは社会人としての評価を著しくアップさせてもくれる。

新築のマイホームを買って三十年以上のローンを組むのもおすすめである。こうした縛りを自らつくってしまえば、容易に会社を辞めることはできなくなるからだ。環境を整えることは、社会人を続けていく上でも重要なのである。

以上、若輩者ながら社会人としてのコツのようなものを書いてみた。新社会人になった方、これから社会に出ていこうという方は、ぜひ参考にして頂きたい。

2016年6月4日土曜日

よく見る夢

私はそれほど頻繁に夢は見ないのだが、しかし一つだけ、繰り返し見る夢がある。それは、高校に通う夢だ。

今朝も見た。私は高校生で、電車に乗って高校へ行った。教室にはクラスメイトたちがおり、まさに普通の高校生活。そこで英語や世界史なんかを学ぶ。現実にあった高校生活とほぼ同じである。

だが、一点だけ不自然なところがあった。いつも、そこだけが現実と違う。つまり、夢の中で高校に通っている私は、自分がもう大学を出ていい大人になっていることを自覚しているのである。すでに大学を、それどころか大学院まで出たことをわかった上で、夢の中の私は高校の授業を受けている。

こんな夢を見るのは、私の中で高校時代というものが未消化であるからだ。高校生のころ、私はひとりの友人もおらず、勉強にもやる気をなくして劣等生となり、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。結果、ぎりぎりの出席日数と成績で卒業するに至った。たしかに、私は卒業証書をもらった。だが、能動的に卒業したという意識は乏しい。むしろ、タイムアップで放り出された感がつよい。

おそらく、私の潜在意識においては高校時代が終わっていないのだ。私は、内面の問題として、高校を卒業していない。いまだに、高校に捕われている。社会的には院卒とされているが、精神は高校時代に押しとどめられている。

未練がある、というのとは少し違う。だが、「ちゃんと終わっていない」という感覚が濃厚にある。部活もやっていない、クラスメイトとの関係もだめ、授業にもついていけてない、みんなと一緒に受験に臨むということもしていない。すべて未了、未完、不発である。

中学生のころに漠然と憧れを抱いた高校時代はついぞやってこなかった。そこはスキップして、私は大学生になった。空白がある。その空白を「未完の青春」とでも呼ぼう。「未完の青春」はピリオドを欠いたまま、潜在意識に残りつづける。

いわばそれは、途中でばっさりと切断された苗のようなものだ。そしてその苗はもう二度と息を吹き返さない。ふたたび伸びることはない。三十を過ぎて、もう一度高校生に戻って青春を送ることはできないのだから。だが、「未完の青春」は、未完であるがゆえに、また別種の仕方でこれから発展してゆく可能性を持っている。たぶん、そうだと思う。切断された苗から、きっと物語という想像上の「続き」が育ってゆくのだ。

長めのインターバル

小説を書かない日々がつづいている。

前作を書き上げたのがもう三月の下旬である。そこから四月五月とあって、もう六月だ。一ヶ月半ほどのインターバルを置き、そこで新作の構想を練って着手しようと思っていたのに、もう二ヶ月以上が経過してしまっている。

これが勤め人であれば、別に構わないだろう。働きながらの執筆なら、なかなか時間が取れないなど、理由はいくらでもある。だがこちとらフリーターの身である。たっぷりと溢れるほどの時間がありながら、こんなに書かないというのは問題だ。

次回作の課題はキャラクター造形であると決め、いろいろ考えてはいる。これまでにやったことがないくらい、キャラクターの履歴書というか、設定集を作ったりもしている。だが、それも思ったほど捗らないし、何より作品の全体像が、雰囲気が、世界観が固まらない。俗に「キャラクターがしっかりしていればストーリーは自然とできる」などとも言うが、ストーリーもできてこない。

こんなとき、ワナビとしては二つの選択肢がある。ひとつは設定やらプロットができるまで試行錯誤しつつ待つという戦略。もうひとつは、かなり不完全であっても見切り発車で書き始めるという戦略。

この二つ、どちらも過去に経験済みだ。そして、どちらのやり方でも失敗したことがある。前者のように待った結果、ひどく長いあいだ書かずに時間を無駄にしたことがあるし、後者のようにえいやと踏み出した結果、生煮えみたいな作品ができあがった。これはある賞で一次落ちし、使い回す気も起こらなかった。

だから、非常に悩ましい。もう少しすれば「いける」という実感が湧くくらいアイデアができあがるかもしれないし、ただただ時間だけが過ぎていくかもしれない。どうすべきか。

しかし結局、こんな場合にどうすべきかという執筆作法というか、メタ創作論みたいなものも、試行錯誤しながら発展させていくしかないのだろう。これも修行のうち。とりあえず、最長であと二週間ほど様子を見て考えよう。

2016年5月28日土曜日

村上春樹『1Q84』を読んだ

それはこんな話だった。


主人公は天吾と青豆という三十歳の男女である。二人は小学生のころ似た境遇に置かれており、ある日、教室で手を握り合ってお互いを好きになる。しかし、それから二十年、彼らは別々の人生をあゆんだ。そしてある日、二人は月が二つ浮かんでいる奇妙な世界、「1Q84年の世界」へと別々にまよいこみ、奇妙な体験をすることになる。

天吾は予備校で数学の講師をしながらデビューをめざして小説を書いている。そんなとき、知り合いの編集者・小松から、ある作品の書き直しを持ちかけられる。ゴーストライターの依頼だ。ふかえりという十七歳の少女が書いて投稿したその作品を天吾が書き直し、それは新人賞を取ってベストセラーとなる。

一方、青豆はスポーツ・インストラクターをしつつ、ある資産家の下で殺し屋をやっている。DVの被害にあった女性の夫を数人、何の痕跡も残さずに葬っている。あるとき青豆は雇い主である資産家の老婦人から特殊な殺しの依頼を受ける。それは新興宗教「さきがけ」のリーダーの暗殺計画だった。この殺しは成功するが、青豆は「さきがけ」の残党に追われる身となる。

一方、天吾がリライトした作品『空気さなぎ』はただのファンタジー小説ではなく、実のところ、「さきがけ」の秘密を暴露したものだった。もともとの作者ふかえりは「さきがけ」リーダーの娘だったのである。これにより、天吾も「さきがけ」にマークされる存在となる。

天吾は牛河という元弁護士に監視され、青豆はマンションの一室で息を殺して身を潜める。しばらくこう着状態が続く。牛河は粘り強い調査と観察によって、天吾から青豆の居所をつかみかけるが、老婦人のボディガードであるタマルによって殺害されてしまう。

一方、天吾と青豆はおたがいが非常に近い場所に住んでいることを知り、会おうとする。その願いはタマルの補助によって実現する。天吾と青豆は、いつしか迷い込んでいた1Q84の世界から脱出し、小学校時代からの互いへの想いを成就させるのであった。


学生時代、よく友人に村上春樹を勧められた。そして、数回読んでみた。が、毎度まいど、ハマれなかった。どれを読んでも面白いとは思えなかった。名作と名高い『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、百ページほどで挫折した。だが今回、『1Q84』には序盤から引き込まれ、それぞれ500頁を越える大部な三部作を読み通すことができた。

素直な感想を言えば、この小説は面白かった。読んでよかった。それは疑いない。ただ、奇妙な部分が多いのも事実である。疑問が多く残っている。

まずはリトル・ピープルの存在だ。この小説には、そういう名前の小人みたいなものが出てくる。こいつらは、歴史の影で人類のゆくえを左右しているほどの、重要な存在だとも言われている。けれど、作中ではさして大きな役割を果たしていないのだ、奇妙なことに。最後にラスボスとして倒されるわけでもないし、主人公二人がこいつらと対話するでもなく、1Q84の世界に置き去りにされて終わりである。まあ、なにかのメタファーなのかもしれないが、よくわからない。

この小説でいちばん疑問だったのは、BOOK3に入って突如、牛河という視点人物が登場したことだ。BOOK1とBOOK2では視点人物は天吾と青豆のふたりだった。だが、最終巻のBOOK3でいきなり、冴えない中年男である牛河が、視点人物として割り込んでくる。では、かれが重要な働きをするのかといえば、まあ、ある程度は重要だが、基本的には読者が知っている情報をつらつらと調べているだけだし、不細工な中年男であるからさして魅力はないし、最後にはあっさり殺されてしまう。何のために牛河のパートが設けられたのかよくわからない。

ざっくり言うと、最終的にこの小説は、多くの問題に始末をつけずに終わってしまう。上のリトル・ピープルもそうだし、「さきがけ」の実態や成り立ちがどうだったのかとか、ふかえりはどこへ行ったのかとか——この少女は途中からどこかへ行ってしまう——、なぜ1Q84なんという異世界へ行ってしまったのかとか、いろんな謎を残したまま、ふたりの主人公が逃げ、結ばれて終わってしまう。そこが不思議であった。

2016年5月25日水曜日

とんでもない平和

今の日本はとんでもなく平和だと感じる。平和すぎて、驚いてしまう。

生まれてこの方、殺人や傷害のターゲットになったことがない。一度もない。目の前でその種の犯行がなされたこともない。友人や知人が被害にあったこともない(覚えている限りでは)。それどころか、窃盗の被害にあったこともないし、カツアゲをされたこともない。

夜道を一人で歩いていても、危険など感じたことはほとんどない。子供のころはコンビニの前などでたむろするお兄さんたちが怖かったが、今では恐怖を感じない。基本的に、暴力のない世界に生きていると言ってもよさそうだ。

もちろんテレビではかなりの頻度で殺人事件や傷害事件について報道されている。アイドルの女の子が刺されたとか、沖縄で若い女性が殺害されたとか、そういう話はある。それは痛ましい事件だし、心も痛む。だが、一億二千万人が生きている国で、そういう凶悪犯罪がゼロということはありえない。どうしても一定数はあるだろう。そして、一億二千万人が生きているにしては、その種の事件はきわめて少ない。

現在、私たちは、その種の事件の詳細な報道を目にし、義憤に駆られたり悲しんだり、再発防止のためにどうすればいいかを議論したりしている。この現状がよりよくなるように願っている。この現状は、望ましくないものだと考えている。しかしひょっとしたら、「この現状」こそ、とんでもなく平和なものかもしれないと感じる。凶悪で目を背けたくなるような犯罪が少なからず起こっているように見えるこの現状は、もしかしたら、ほとんど最良の部類に属する状況かもしれない。

十年後二十年後に日本の治安はどうなっているだろう。もしかしたら、二〇一〇年代を思い出し、「あのころは平和だった」としみじみ懐古することになるんじゃないか。

2016年5月20日金曜日

老化について

ときどき加齢について考える。

現在、私は三十一歳だ。まだ若いといっていいだろう。しかし、中年とカテゴライズされる日はそう遠くない。

そこで思うのだが、老化というのはどの程度起こるのか。一般的に、二十代を過ぎると人間の身体能力、あるいは部分的には知力も、少しずつ低下していくものとされている。そういうふうに了解している人が多い。だが、それは本当なのか。

予想だが、知力に関してはおそらく、相当な高齢にならないと劣化しないと思う。十代のころと現在とで比べると、教養が増えた分、理解力や思考力は圧倒的に向上している。おそらくは、さらに今後も向上を続けるだろう。記憶力も然り。二十歳を過ぎるまでは、私は暗記をすることが何より苦手だったが、二十代を経てだいぶ改善された。

あるいはまた、大学の五十代、六十代の教授たちを見ていても、学生に比べて頭脳が劣化しているようには見受けられなかった。高齢になると知力がにぶるだとか吸収力が下がるだとかはおおむね嘘だろうと思っている。

身体能力についても、一般的に言われるほど、加齢はマイナスの影響を及ぼさないのではないか。適度な運動をし、肥満をするような自堕落な食生活を避けていれば、ほとんど若いときと同程度の身体能力は維持できそうな気がする。

ただ、二十代あたりが肉体のピークで、そのあとは下降していくばかりというイメージはある。ほとんどの人が、人体をそういうものだと思っている。おそらくその背景にあるのはスポーツ選手のキャリアだ。スポーツ選手は、はやければ十代で選手生活のピークを向かえ、二十代後半や三十代くらいで限界を迎えて引退する。実際、彼らの肉体のピークは若い時期にくる。ただし、スポーツ選手はきわめて特殊な身体の使い方をしている。肉体を酷使すれば、燃え尽きるのも早いのは道理である。普通の生活をしているだけのわれわれに、その例は当てはまらない。

端的に言えば、肉体や頭脳が老化することで劣化するというのは、ほとんど幻想だと思う。「歳だから……」と言ってため息をつき、能力の衰えを嘆くのは、多くの場合において勘違いであると思う。希望的観測と言われるかもしれないが、少なくとも、このくらいに了解しておいた方が先行きが明るいし、身体や知性の衰えもやわらぎそうな気がする。

そんなわけで、私は永遠に二十八歳に留まろうと思っている。

2016年5月10日火曜日

五月問題

五月はきらいだ。

五月はたしかにいい季節だ。過ごしやすい。暑くもなく寒くもなく、まだ梅雨でもないし、杉花粉は終わったし、一年の中でもいちばんいい季節かもしれない。だけど、なぜか知らないが、五月になると調子が悪い。

体調も微妙によくなくて、何よりやる気が起こらない。毎年毎年、「なんかこの頃やる気が出ないなぁ」と思っていると、五月に入っているのである。しかも、新しい環境に入ったせいでなる、いわゆる五月病というわけではなく、前年度から変わらぬ状況にあっても、五月は調子が崩れる。

もともとの計画では、もう今頃は新作に着手しているはずであった。プロットもキャラクター設定もビシッと完成させて、本文を書いているはずだった。だが、本文どころか、基本的な設定やテーマすらあやふやである。「これならいける!」というとっかかりがない。

仕方なく、しばらくインプットに徹することにする。千鳥のロケがおもしろい。

2016年5月5日木曜日

コンビニの廃棄

コンビニのバイトを始めてもう三ヶ月近く。仕事はだいたい覚えたし慣れた。これまでいろいろなバイトを経験したが、歴代でも一番か二番の楽さである。週に一度はJKと同じシフトに入って雑談をすることもでき、つくづくいい仕事を選んだものだと思う。

さてしかし、この楽バイトにも一つ、ちょっとだけだが、厭な点がある。それは、食品の廃棄だ。

日曜日の午後六時、ワンオペで働いている私はカゴを手に食料品のある棚へ向かう。そして端っこから商品を手に取り、賞味期限が二時間を切ったものを次々にカゴへ放り込んでいく。おにぎり、弁当、サンドイッチ、寿司、サラダを、それはもう、どさどさと、溢れんばかりに棚から取り去ってゆく。そしてそれらをレジにて廃棄登録し、バックヤードにあるゴミ箱へ、文字通り「捨てる」のである。

この作業、けっこう良心が痛む。

小さい頃から、食べ物を大切にするようにと教育されてきた。お茶碗についた一粒の米も残さず食べなさいと、農家の方々が精魂込めて作ってくれたんだからと、大人たちにそう言われ、食べ物を大切にしようと思ってきた。もったいないの精神は、ほとんどの日本人同様、私の中にも根を張っている。

なのに、このバイトでやっていることは何だ。農家の方々が精魂込めて作った食べ物を、まだ全然食べられるのに、ゴミとして捨てているのである。業務用の大きなゴミ袋に溜まった無数のおにぎり、お弁当、サンドイッチ、サラダを見て、良心がズキズキと痛む。

あれだけの量の食品があれば、余裕で大人五人くらいは一日生きて行ける。食事の量としては十分だ。他の時間帯の廃棄も含めれば、人間十人分くらいが食えるだろう。コンビニ一店舗の廃棄で、毎日十人が食事できると考えてみる。現在、全国にはコンビニが五万店あるという。とすれば、廃棄だけで五十万人の食事が賄えるわけである。

それを、すべて捨てているのだ。


コンビニで食べ物を買った人は、その買ったものを、ありがたくすべて食べているのかもしれない。もったいないの精神で、食べ物を大切にしているのかもしれない。だが、流通のシステムの中で、膨大な数の食品が粗末に扱われている。なんだか空恐ろしい。

2016年4月29日金曜日

塾講師の仕事内容:余暇と研修

私の塾の場合、休日はそこそこ多かった。基本的に平日のうち一日、そして日曜の週休二日制である。祝日もだいたい休みだ。夏になると、一週間程度の連休が二回くらいあったりする。

ただ、前にも書いた通り、授業の準備があるために、休日でも丸々一日遊ぶというのは難しい。いくらかは授業準備に時間を使わねばならない。さらに、苦手教科・分野の復習をしたり、過去問の研究をしたりといったことも必要となる。

夏の連休のだいたい授業準備で潰れる。なにしろ、夏期講習はいちばんの書き入れ時であり、朝9時から夜10時まで授業がある。家には寝に帰るくらいだ。となると、前日に次の日の準備をするというサイクルは無理で、事前にまとめて準備をしておかねばならない。

有給はあるが、使いにくい。担当するクラスの授業はそうそう勝手には休めない。それでも他の講師に代講をお願いして休むという方法もあるが、やはり気を使う。

上に週休二日と書いたが、研修が行われることもある。勤務日の午前中に研修があることもある。しかもけっこう頻繁にあるので、負担は大きい。塾講師と天職を感じ、その道を突き詰めていきたい人にとっては渡りに船であるが。

塾講師の仕事内容:生徒との関係

塾講師という仕事柄、生徒との関係には気を使う。会社側もそこにはシビアだ。

採用当初に注意されたのはSNSの扱いについて。私はFacebookを本名でやっていたため、採用説明のときには人事の者がすでにチェックを入れており、対応を求められた。生徒とSNSで接点を持つのは当然タブーで、その疑いを持たれるのもだめだということであった。担当者はFacebookアカウントそのものを削除して欲しいようだったが、いやだったので、名前を偽名にし、写真も顔写真ではなくして、特定されないようにした。

しかし、生徒や保護者がどこまでネットで講師のことを調べているのかは分からない。私の本名でググると、大学の紀要で発表した論文の情報がヒットするため大学名がばれる。過去に応募した新人賞のことも出てくるため、ワナビだということも発覚しかねない。が、これらがバレていると感じたことはない。そこまで興味を持たれなかったということか。

生徒に対しては、明かしていい個人情報とそうでないものがある。これについては正式にレクチャーがあったわけではないが、たとえば出身校は言わないことになっていたようだ。このへん、家庭教師や予備校の講師とはぜんぜん違う。とはいえ、これにについては生徒から聞かれたことは一回しかない。聞いてはいけないという意識があるのか、あるいはそもそも興味がないのかはよく分からなかった。

そして、年齢も明かしてはいけないことになっていた。だがなぜか、生徒というのは先生の年齢をやたら気にする。アホほど聞いてくる。「先生、何歳なの?」と百回くらい聞かれたかもしれない。なぜそんなに年齢が気になるのかは謎である。あと、なぜ言ってはいけないのかも謎である。

生徒といちばん親しく接する機会というのは、塾講師の場合、質問対応だ。そのときに勉強の仕方であったり進路についてであったり、相談に乗ることもある。雑談もする。ただ気になったのは、質問に来る生徒が非常に偏っているというところ。同じ月謝を払っていても、よく質問に来る生徒の場合は個別指導に匹敵する手厚いサービスを受けていることになるし、来ない生徒はその分損をしているとも考えられる。個人のやる気に比例して先生も応えるのだから、これが理不尽とは言えないが、保護者の立場で考えた場合、通わせがいがあるのは前者のような子であろう。

塾は地域に密着した商売なので、塾を出ても、町で生徒や保護者と出くわすことがある。住んでいる場所もなるべく生徒には知られない方が望ましいので、そういうときは気づかれずに逃げるようにする。こういうことが厭わしい人は、勤務場所から数駅離れたところに住んでいる。

問題のある生徒、荒れたクラスというものもある。塾はいくもいかないも任意なのだから、いやなら生徒の方から辞めていくだろうとも思うが、実際はそうでもなく、親に言われてイヤイヤ通塾している生徒もおり、勉強する気などサラサラないという生徒もいる。クラスが荒れるとけっこうひどいことになる。子供というのは残酷なもので、それが集団で敵意を向けてきて罵詈雑言をぶつけられると精神的に堪える。それでも塾の場合はそのあいだだけ耐えればいいわけだが、学校の先生は担任のクラスが荒れたりしたらまいってしまうだろう。教師の休職が多いというのも理解できる。

塾講師の仕事内容:役職と給料

今回は仕事の内容というより、組織の構成について。

塾といっても個別指導の部門もあれば、英会話の部門もあったり、幼児教育をしているところもある。私の場合は中核である小中学生の集団授業を行う部門にいたため、そこの話を。

まずはヒラの塾講師がいる。これまで書いたような仕事を行う、普通の塾講師だ。ここで数年、はやい人ならば三年目くらいで校長になったりする。校長は、小さい校舎だと事務員を含め三人の部下をしたがえる管理職ということになる。何が校長の業務になるのかは校舎によっても若干違うだろうが、アルバイトの採用・時間割の作成などが加わる。私の塾の場合は、校長になっても授業の受け持ちが減るということはなかった。むしろ、私が担当を外されたコマに校長が入っていて実にたいへんそうであった。

校長の上となると、いくつかの校舎をまとめたブロックの長ということになる。これはどこかの校舎の校長が兼務することが多かった。ときどき各校舎をまわったり、研修のときにまとめ役になったりしていたが、特有の仕事内容というのはよく分からない。

その上は、都道府県単位の長、エリア長となる。ひとつの県の集客状況やクレームの発生についてメールが送られてくるのだが、これはエリア長が作成していた。通常、ヒラの塾講師はエリア長と机をならべて仕事をするということはないが、私の場合は、私が担当を外されたコマをエリア長が埋めていたため、日常的に接することとなった。

その上は、小中学生対象の部門を総括する部長ということになる。部長にまでなると普通、授業を受け持つことはあまりないようだが、私が担当を外された別の授業を部長が埋めていたため、毎週私の校舎で授業を行っていた。自分で言うのもなんだが、ペーペーの尻拭いもたいへんである。

さて、給料だが、中途入社一年目、契約社員の私で約22万円であった。ここから雇用保険・健康保険・所得税などが引かれ、そして残業代が付き、平均的な手取りが19万円といったところ。さほど高くもないが、低くもない。夏期講習で時間外手当がたくさんついて、マックスが24万円であった。

校長になるとその分の手当が出るらしいが、これはさしたる額ではなかったらしい。一応、校長になると管理職の扱いとなり、残業代は出ない。休日出勤でもほとんど出ない。夏期講習になると朝9時から夜10時までの勤務が毎日続いたりするのだが、私が通常の月より5万アップしたのに比べ、校長が「あれだけ働いたのに1万円しか違わない」とため息をついていた。

ちなみに、校長はパソコンと社内システムのパスワードを付箋に書いてデスクに貼っていたため、その給与明細を盗み見ることもできたのだが、万一閲覧履歴が残る仕様になっていたらいやだなと思って見なかった。どうせなら見ておけばよかったと思っている。

その上だが、エリア長はボロボロの軽自動車に乗っていたし、給料はさほど高くなかったと思う。高給取りになりたいなら、そもそも塾講師はだめである。入社当初、校長からはよく、ここにいてもたいして稼げないという話をされた。部長にまでなればある程度の収入があったかもしれないが、そもそも部長にまでなれるのは百人に一人とかなので、期待は持てない。

なかには、数年から十数年経験を積んで、独立する人もいる。私のいた塾のすぐ近くにも、個人で塾を立ち上げた人がいた。まだできて一年くらいだったはずだが、夏の終わりには「テナント募集」になっていた。あっさり潰れたのだ。もともと組織にいるあいだは優秀な講師だったに違いないが、そこを離れて自分でやっていくのは難しいのだろう。

塾講師の仕事内容:教材と掲示

学習塾ではアホほど教材を配る。

私が中学生のころ通っていた塾は一つも教材など配らず、テストもなく、授業もなく、ただ質問だけできる自習室みたいな感じだったので、この教材の充実っぷりには当初おどろかされた。

中学生であれば各教科一冊、多ければ三冊ほど配る。春期講習、夏期講習、冬期講習となれば、そのたびにまた別の教材を配る。この準備もなかなかめんどうである。予め生徒の数だけ発注しておき、それを生徒ごとにまとめて、配布できるよう準備しておく。でかいダンボールにぎっしり教材が詰まって届くので、それをあっちへやりこっちへやり、腕力も必要になる。腰痛持ちにはしんどいだろう。

塾の中にはさまざまな掲示物がある。たとえば、中学や高校のポスター。いろんな学校から生徒募集や体験授業のチラシ、ポスターなどが送られてくるし、直接持参してくる場合もあって、それを壁に貼っていく。あるいは、ここを巣立ってもまた高等部で塾に通ってくれるよう、そのポスターも貼ったりする。他にはテストのランキング表・合格実績・講師紹介などもある。これらをワードやエクセルを使って作成するのも業務のうちである。

塾講師の仕事内容:授業と準備と質問対応

塾講師はどのくらい授業を受け持っているのか。ざっくり言うと、社員の場合はだいたい一日二コマから三コマ程度である。小学生のクラスを一コマ、中学生のクラスを二コマというのが標準的だった。

授業は決められた時間で行うので、延長によって時間が延びるということはない。しかし問題はその準備である。これに時間がかかる。三年目以降の慣れた人になればいいが、最初の一、二年は毎回毎回ゼロから板書案を用意したり授業展開を考えておかねばならないためたいへんである。

一時間の授業につき一時間から二時間の準備をするとなれば、実質的な労働時間は増える。しかし、それはすべて自宅でやっておかなければならない。そして、その時間に対しては給料が出ない。塾講師が他の仕事に比べて「割に合わない」と感じるとすればこの点だろう。

塾は、最初の記事にも書いたとおり、始業が午後一時過ぎである。だから、午前中の時間は自由に使えると思う。会社のあるパーティーで少し話をした先輩は、午前中が自由だから、そこで博士論文を書こうと思っていたと語っていた。が、その目論みは挫折したようである。かくいう私も、午前中に小説を書こうと思っていたが、就職してすぐ、それは無理だと悟った。少なくとも最初の一、二年は自宅での授業準備によってプライベートな時間の多くが削られてしまうからだ。

では、大学教員のように、ペーペーのうちに授業ノートさえ完成させてしまえば、あとあとそれを使い回しできるかと言うとそうでもない。毎年担当になる学年・教科が同じとは限らないし、当然、クラスによって進度も変わってくる。目の前の生徒に合わせて授業をするのが学習塾のメリットなのだから、それを無視して機械的に進めることはできないのだ。

というわけで、授業そのものにかかる時間は少なくても、準備にかなり手間取る。

内容的なことについても少し書くと、塾講師というのは、生徒に「聞かせる」のが大事である。そのためにさまざまなテクニックを習得しなくてはならない。基本、塾の生徒というのは話を聞かない。レベルの低いクラスほどそうである。大学の講義のようなものを想像していると痛い目を見る。見た。


さて、集団授業ばかりでなく、個別に質問に来る生徒への対応も大事な仕事のひとつ。とりわけ高校受験を控えた三年生などは毎日のように質問に来る。

たとえばチラシを折っていても、テストの採点をしていても、質問に来たら答える。時間を取られるので忙しいときは厄介だが、基本的には、生徒と近い距離で接する時間なので楽しいことが多いし、貴重な機会である。このときの質問によって、授業をどれくらい理解しているかとか、そういう感覚を得ることもできる。

私の校舎の場合は、いつでも質問していいことになっており、生徒が事務室に質問を持ってきたら必ず答えることになっていた。だが、これだとやはり業務に支障が出る場合もあるため、校舎によっては質問時間を決めたり、予約制にしていたりもしたようだ。どういうやり方がいいかは校舎によって違うだろう。

今振り返ってみると、塾講師をしていていちばん楽しかったのはこの質問対応であった。集団を相手にするのは苦手だ。

塾講師の仕事内容:採点と保護者対応

塾ではいやというほどテストをする。この採点は、当然のこと、塾講師の仕事である。

正直、これほどテストをするというのは意外だった。頻繁に行うミニテストのようなものから、記述式の本格的なやつなどいろいろ。アルバイトの先生に手伝ってもらうこともよくあったが、それでも100人以上の生徒の答案を、基本、三人体制の講師でさばくのだから、そりゃあ楽ではない。

ただ、私はまだよかった。理系科目担当だからだ。数学と理科にも記述はあるが、その解答の振れ幅はたかが知れている。問題は国語と社会で、私もいくらか手伝ったのだが、採点の難しさがえげつない。本部が用意した採点基準というものがあるのだが、答案と照らし合わせて判断するのは難儀である。採点基準自体がどうなんだ、という場合もあって、そういうときはバツをつけるのが躊躇われたりする。

採点が終わったらその点数をパソコンで入力し、生徒ごとにまとめる。そして次の授業時に返却。このへんの手間もけっこうかかる。

話は変わるが、塾講師をしてて普段接するのはもちろん塾に通う生徒たちである。だが、月謝を払っているのはその親だ。親との関係は非常に重要で実に気を使う。親御さんとの接触を保護者対応と呼ぶ。

年に二度ほど、塾講師は保護者と面談を行う。一応、塾でも担任というものを設定しており、自分が担任しているクラスの保護者に塾へ来てもらい、面談をする。生徒の勉強の様子や進路について話し合う。

あとは、電話でのやり取り。生徒が宿題をあまりにやってこなかったり、授業中に問題行動があったりすると、電話をして保護者にその旨告げる。

学習塾でもクレームには敏感だ。家庭からはいろんなクレームが来る。講師が生徒に暴言を吐いただの、通塾指導のときの態度がわるいだの、宿題が多すぎるだの少なすぎるだの、せっかく購入した教材を使っていないだの、授業中ほかの生徒がうるさいだの、いろいろ。なかには言いがかりじみたものもあるが、ほとんどまっとうな言い分なので、しっかり受け取って改善に取り組む。このへんは塾といえどもサービス業である。

塾講師の仕事内容:ポスティングと門前配布

授業以外の仕事には何があるか。たとえばチラシの配布だ。

学習塾の目標は、生徒の成績を上げて志望校に合格させること。であるとともにもう一つ、生徒を増やすというものもある。このために、宣伝は欠かせない。私がいた塾の場合は近所の家の郵便受にチラシを入れる、いわゆるポスティングと、小中学生の帰宅時間をねらって学校の校門の前でチラシを配る、いわゆる門前配布の二つがメインだった。

チラシは教室内にあるリースのもので刷る。A4に印刷したものを2つ折りくらいにして、ポスティング用はそのまま紙袋へ、門前配布用のはまずクリアファイルに入れる。さすがに小学生でもチラシ単体を受け取ってはくれないため、クリアファイルで釣る作戦である。で、案外この、チラシを「折る」という作業がたいへんである。

夏期講習の前、上司がコピー機が発火しそうなほどチラシを印刷していることがあった。印刷したものは床にどんどん積まれ、結局、膝くらいまであるチラシのタワーが3つできあがった。

「これ、○日までに折っといてくれる?」

いちばん下っ端の私に、それをすべて折るという作業が命じられた。「いやだよ、めんどくせぇ」と言って断りたい気持ち満々だったがそうもいかず引き受け、それからしばらくは空いた時間にひたすらチラシを折っていた。陰鬱な記憶である。結局終わらなくて怒られたしね。

話を戻す。

ポスティングは、わるい仕事ではなかった。特に、仕事に嫌気がさしてからは、一人で外に出て1、2時間ぶらつけるこの業務は好きであった。家々の郵便受にチラシをちまちまと配り、ある程度配れたらコンビニでたばこを吸ってくつろぐこともできた。

門前配布だが、これもどちらかと言えば楽しい仕事だ。最初こそ、見ず知らずの小学生相手にチラシを配るのはやや勇気が要るが、慣れれば楽しい。あいつらも二回目以降はこちらに慣れてきて、あっちの方から群がってファイルをひったくるように取り去ってゆく。ピラニアに食われるときの気持ちが少し分かった。ちなみに、学校の敷地にさえ入らなければ学校側から咎められることはない。不審者として通報されることもない。

こうして数百、数千とチラシを撒いていくと、ポツリポツリ、電話での問い合わせがある。私の塾ではホームページや新聞の折り込みでのPRもしているが、ほとんどは上記二つがきっかけとなって問い合わせがあった。この、保護者からの問い合わせのことを「反応」と呼ぶ。ここで相手の名前、電話番号、学年などを聞き出し、かつ、実力テストの受験や体験授業に来てくれるよう誘う。そうやって入塾へ繋げていくのだ。

集客はチラシ配りや体験授業や、あるいは他の生徒からの紹介など、いろんな要因が重なってなされるものだが、私の塾の場合、なぜか生徒の入室は「問い合わせの電話を最初に取った人」の手柄とされていた。問い合わせの電話を取るかどうかは運次第なのだが、あたかもその電話を取った人の手柄みたいな扱いをされていたのが不思議であった。

ポスティングと門前配布。どちらも事前に準備がいるし、一度そのために外に出ていけば1時間くらいはかかる。息抜きにもなるが、負担にもなる業務だ。

塾講師の仕事内容:一日の流れ

去年、八ヶ月という短い期間ながら、私は学習塾で働いていた。契約社員という雇用形態ではあったが、仕事内容は正社員とまったく同様だった。このところ塾での仕事のこともあまり思い出さなくなっていたのだが、忘れないうちに備忘録として塾講師の仕事について書いておきたい。

一日のおおまかな流れはこうだ。

出勤は1時から1時半。お昼を食べてから教室に出勤する。みなが集まると2時前に軽いミーティングを行う。ここではその日一日の仕事の流れを確認したり、生徒の入室・退室のこと、成績や状態について情報交換をする。

その後はしばらく、各々が抱えている仕事に取りかかる。学習塾には授業以外のさまざまな雑務があるのだが、それについてはあとで詳しく書く。少し例を挙げるなら、新しく入室した生徒に配布する教材を準備したり、地域の住宅にチラシをポスティングしに行ったり、テストの採点をしたりなどである。けっこう時間を取られる。

午後5時前、そろそろ小学生が集まって来る。授業がはじまる15分ほど前には講師が二人、塾の前に出て、生徒たちを出迎える。これは「通塾指導」、あるいは省略して「通塾」と呼ばれている。

1時間ほど小学生クラスの授業を行う。ここは説明の必要もないところだろう。

6時くらいに授業が終わり、生徒たちを見送る。中学生クラスの授業開始は7時過ぎなので1時間ちょっとの空白ができる。ここで軽い食事を取っておくことが多い。しかし、はやめに来た中学生からの質問を受けたりするので、それなりに慌ただしい。

7時過ぎから9時半くらいまで、中学生クラス二コマの授業。これが終わるとほとんどの生徒たちは帰っていくが、勉強熱心な子は10時まで粘って質問をしてから帰る。

最後に教室内の軽い掃除や整頓、消灯のチェックなどをして、塾を出るのがおおよそ10時から10時半といったところである。ときには11時や12時を過ぎる残業もあるが、頻度はさして多くはなかった。

と、だいたいこんな感じで日々過ぎていく。

塾講師というとどうしても授業のことばかりに目がいくし、それがメインの仕事であることは事実なのだが、他の業務もばかにできない。というか、使っている時間で考えれば、授業そのものよりその他のことの方が多いのだ。

具体的にどんな業務があるのか、詳しくは次の記事で書こう。

2016年4月24日日曜日

漢字かひらがなか

とりとめのない話を一つ。

ワナビのみなさまならだれもが迷うであろうこと、つまり漢字かひらがなかという問題。これについてだらだら書こうと思う。

学生時代は、とりわけ義務教育のうちは、漢字の書き方を教わる。なるべく漢字で書くほうがいいと教わる。だから、漢字かひらがなかという問題には、自発的に文章を書くようにならないと直面しない。しかも、これといったルールがあるわけでもなく、自分なりに考えていくしかない。

たとえば、上の二段落目の前半部、どう書くのがいちばんスマートだろうか。

「ワナビの皆様なら誰もが迷うであろう事」

フルで漢字にするとこうだ。だが、若干、字面が濃い。では、これならどうか。

「ワナビのみなさまなら誰もが迷うであろうこと」

ほぼ、もとの通りである。私の中ではこれも許容範囲だ。結局、ぜったいにこうでなきゃいけないというものはない。

それでもある程度、自分なりに基準はあって、接続詞や副詞はほとんどひらがなにするとかしているのだが、非常によく迷うものもある。というか、一つの作品においてだいたい混在してしまうものがある。

「分かる」

これはくせ者だ。いっつも、「分かる」か「わかる」かで迷う。そしてどっちつかずになる。本によって、作者によって、これをどうするかは本当にまちまちである。

「ひとつ、ふたつ」

これもよく迷う。「一つ、二つ」でも別にいいのだが、やはりこれは和語であるから、日本特有のひらがなで表記するほうがしっくりくるような気もする。「ひとり、ふたり」も同様。ちなみに、「三人」を「さんにん」と書くことは絶対にない。

「○○のほう」

これは、元々はいつも漢字で「方」と書いていた。だが、何かの本でひらがなにしてあるのを見て、それもいいなと思い、感化された。書くたびに迷っている。

「来た、来る」

これも厄介者だ。文章が単調なためか、登場人物がどっから来ることが多いのだが、そのとき「くる」のか「来る」のか、迷う。漢字でも違和感はまったくないが、あまり頻出するとうるさく感じる。神経質すぎるのかもしれないが。

「僕、俺」

これは、だいたいひらがなで「ぼく、おれ」と書く。けど、漢字のほうが自然かもとも思う。どっちがいいだろう。

「全然、絶対」

これはもともと二字熟語であるから漢字で書くのが普通だが、日本語にすごく馴染んでいるため、ひらがなで書いても違和感がない。けっこう溶け込むのだ。前後に漢字が多い場合など、ひらがなで「ぜんぜん、ぜったい」でいける。そしてこの、敢えてひらがなにしてるところが手だれっぽくてかっこよくもある。

「彼」

これも、敢えてひらがなで「かれ」とするとかっこいい場合がある。翻訳物の小説では「かれ」が多い印象。一方、「彼女」を「かのじょ」とするのは見たことがない。


とりとめのない話をしてしまった。寝るとしよう。

2016年4月23日土曜日

隠居という生き方

現在、私はコンビニバイトと家庭教師をやっている。いわゆるフリーターである。

ところで、私同様フリーターとカテゴライズされる人の中に、しかも若い人の中に、隠居を自称する人がいる。『20代で隠居』の著者がそうである。この人は週二日だけ働いて、賃貸で慎ましく暮らしている。あるいは、川のほとりに土地を買い、小屋を建ててそこで暮らしている人もいる。『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』の人だ。さらには、数年前からたびたびフィーチャーされる「京大卒ニート」のphaさんもその類である。

要は、定職に就かず、さりとてミュージシャンや作家といった夢を追うわけでもなく、ただまったりと生きる人、そういう人がちょこちょこいて、そこそこ注目を集めているのだ。

こういう人の書いたものに接したり、メディアで特集されてたりするのを見ると、ある程度はシンパシーを感じる。自分の中にも、世間の価値観や圧力を無視し、ただただ静かに暮らしたいという欲求があるのを感じる。

しかし、一点、私の場合は野心があるというところが違っている。小説家になりたいという野心があり、内心、功名心と名誉欲であふれかえっている。そういう意味では、世の中の平均的よりもずっと隠居に遠い存在かもしれない。

だがしかし、隠居的な人生というものへの憧れも理解はできるし、共感もできる。ひょっとしたら、できることをすべてやり、刀折れ矢尽きた時、そっちの方へ傾いて行くのかもしれない。まあ、その場合は、彼らのような純粋に隠居を志向する者ではなく、敗残者としての烙印は免れないが。

2016年4月12日火曜日

退屈の問題

南米ウルグアイの元大統領、ムヒカ氏が来日している。おととい、夜のニュースで特集されているのを観た。

ムヒカ氏がよく言うのは、日本人が働き過ぎているという問題である。お金のために時間を切り売りし、それによって自分らしい時間、好きなことをする時間がなくなっているという指摘である。事実、そうだろうと思う。フルタイムで働いて、おまけに残業まであったら、自分のための豊かな時間を持つことは難しい。

しかし、そこには一つ見落とされた問題がある。それは、退屈だ。

多くの人が働き過ぎているという。だが、もし時間の切り売り労働をやめ、毎日あさから晩まで自由に時間を使えるとなったら、ほとんどの人はこう感じるだろう。「退屈でたまらない」と。

暇だとか退屈というのは、現在、不当に甘く見られているように感じる。ショーペンハウアーのような卓越した思想家は、退屈がとんでもない害悪を人類にもたらしうると洞察しているが、一般的にはあまりそのリスクな認識されていない。かれの時代よりかなり豊かになったはずの現代日本でも、貧困や戦争の問題が語られる一方、退屈は真剣に受け取られていない。

おそらく、退屈が予想外にシビアなものだと感じている人はいる。定年退職したサラリーマンは、たぶんそれを感じている。あまり表には出てこないが、とくに何の予定も見通しもない年単位の茫漠たる時間を前にして、途方に暮れている人は多いのではないか。

さて、退屈への対処法にはいくつか考えられるが、まず、何かに飽きない人というのはある意味つよい。テレビでも旅行でも社交でもゲームでも、飽きずに延々と続けられるなら、それでいい。馬鹿っぽい感じはするが、退屈への対処という点では有利だ。だが、普通は何にしたって飽きる。娯楽というのは、一般に、飽きが来るものだ。娯楽=レジャーは、ふだん働いてる人がするから気晴らしになるのであって、それだけやるというのは無理がある。

では何をしたらいいかと言えば、それは勉強か技芸か創作だろう。いずれも、娯楽としても享受されるが、それを越えたものである。しかも、終わりがないという最大のメリットがある。語学や歴史、何でもいいが、これらの勉強は終わりがない。やればやるほど奥の深いものである。勉強が研究になり、学位取得までめざせば、数年はすぐにかかる。技芸もそうで、踊りや武道、茶道、華道、こういったものが終わりがなく、何年でも続けられる。そして、創作。いちど創作にハマれば、それは死ぬまで続けられる。小説に関して言うと、ある程度書き方を身につけてしまえば、あとはいくらでも書ける。ひとりでやれるし、だれにも迷惑はかからないし、勉強したことを活かすこともできるし、永遠に終わらない。

退屈の問題が直視されたとき、勉強や技芸とならび、創作はまた新たな脚光を浴びるのではないだろうか。

2016年4月8日金曜日

小説すばる新人賞に応募した

一週間ほど前、小説すばる新人賞に応募した。構想開始からおよそ二年、ようやく形にできたものを送った。送った直後に一カ所、設定に矛盾を見つけるという痛恨のミスを犯したが、とにかく投稿を済ました。数日後、集英社から受領のはがきも届き、家族に見られる前に回収を済ませ、一段落である。

目下、勉強と構想の期間に入っている。ワナビとは言え、常に書き続けているわけにもいかない。脱稿から一ヶ月半ほどは、次回作の準備と勉強が必要だ。いろいろ考えている。

二年程前から、創作に関しては『もしドラ』の岩崎夏海の教えを第一に取り入れ、考えているのだが、氏の発言の中でいま頭を占めているのはこういうことだ。「人間は、夢や無意識で見たものを目の前で再現されると面白いと感じる」。原文ママではないが、こういう発言があった。これは映画についての文脈で言われたものだが、小説にも妥当するだろう。

なにか、夢で見たような、あるいは無意識に欲望している、または恐怖しているようなヴィジョンというのを、小説の中で描きたい。たとえば筒井康隆『文学部唯野教授』のクライマックスである教授が発狂したように主人公を罵る場面、あるいは岩崎夏海『もしイノ』の最後で魔球によってストライクを取りまくるという流れ、ガルシア・マルケス『百年の孤独』のあらゆる場面……枚挙にいとまはない。あ、そうそう。ピンチョン『ヴァインランド』で、パーティー中の飛行機になぞの飛行物体が横付けしてだれかが乱入してくるシーンもいい。ああいうの。

しばらく自分の無意識レベルの欲望や恐怖というものを探ってみたい。きっと何か題材があるはずだ。

2016年3月15日火曜日

バイトが楽

バイトが軌道に乗ってきた。

まあ、非正規雇用が問題になっている昨今、三十路を越えててあれなんだけど、アルバイトをはじめたわけで、それがいい感じである。

去年、フルタイムで働いているときはしんどかった。塾講師という専門的な職種だから授業のスキルをあげなければいけないし、でもできないし、ほかの業務も規定時間内に終わらなかった。「これじゃ仕事メインの生活になっちゃうよぅ」と内心泣き言をいう日々だった。サラリーマンならそれが普通なんだけど。

それが今はどうだろう。コンビニのバイト、非常に楽である。なんならこれまでやったバイトのなかでトップクラスに楽である。客はぽつりぽつりとしかやって来ず、やるべき業務も多くなく、覚えるべきことはおおよそ覚えてしまったっぽい。

家庭教師も並行してやっているがこちらもしんどいことはなく、ストレスなしにやれている。個人契約でもひとり、生徒を見つけることができた。

こうしたバイトによって、最低限のキャッシュフローは手に入れられそうである。と同時に、いちばん必要な時間を多量に確保できている。いい感じである。一人暮らしで非正規雇用で生活カツカツというあなた、実家にパラサイトしてバイト生活を試してみてはいかがだろうか。

2016年3月12日土曜日

人間を型にはめて見る

三日ほど前、新作の初稿が完成した。思えば新しい作品を仕上げるのはもう一年半ぶりくらいになる。だいぶ間が空いてしまったものだ。

波はあれど、やはり書けば書くほど技術が向上している。以前は後半になるとかなりバテて、最後のほうはとにかく埋めることに必死だったが、今回はこころに余裕があった。終わり方はどんな感じにしよっかなーと、鼻歌まじりに本棚から名作を十冊ほどひっぱりだし、いろんなパターンを比較検討する余裕すらあった。いいことである。

ストーリーについてはかなり理解が進んで来た。だいたいどんなふうにすれば10万字程度の話を転がせるか、感覚として染み込んで来た気がする。ただ、中盤は若干こまった。そして、そのこまった原因はおそらく、キャラクター造形のつたなさにある。

もともと私は他人への興味が薄い。ひとの顔と名前がなかなか一致しない。たぶん、あんまり見てないんだろう。しかし、魅力的でリアルで一貫性のあるキャラをつくりあげるためには、人間の類型について知らねばならない。

というわけで、今後は推敲を進めつつ、この方面の勉強をしていきたい。とりあえずは岩波文庫で去年重版がかかったテオプラストス『人さまざま』を読んでいる。普通の人間の類型、とりわけ欠点についてエッセイ風に書かれた最古の書らしい。学校教育なんかでは、人間を型にはめて見てはいけないと言われるが、創作においてはむしろ逆。とことん人間を型にはめて見る見方を習得していきたい。

2016年3月4日金曜日

花粉症のない世界

花粉症の季節がやってきた。まだ序の口のはずであるが、鼻水が止まらず目もかゆいという日がもう何日かあった。これからが怖い。

去年まで、私は関西にいた。関西で一人暮らしを初めてからというもの、私の花粉症は相当に鳴りを潜め、さしたる苦痛ではなかった。だが、今年は十年ぶりに地元で春を迎えることになる。十代のころの花粉症のしんどさが、ひょっとしたらまた戻ってくるかもしれない。

私の地元はど田舎で、家も山のふもとみたいなところにある。車でほんの少し山を登れば杉の峠という名の峠がある。なんとも不吉な名称である。春の風に乗ってわさわさと揺れる杉の樹々から黄色いモヤモヤが流れてくる。そんなイメージが浮かんでくる。

にしても、これだけ科学技術が発展し、人工知能だ万能細胞だと騒がれている割に、花粉症対策はお粗末である。そこそこいい薬、まあまあのマスク、疑わしい民間療法は毎年毎年出てくるが、根本的な解決にはほど遠い。結局、われわれ日本人は花粉症に悩まされているのだ。

こんなとき、脳裏をよぎるのはこんな思い。「ああ、五百年後くらいに生まれてりゃあな」である。たぶん、あと五百年もあれば、日本人は花粉症を克服しているだろう。副作用のない完璧な薬を開発するか、都市全体を透明なドームで覆うか、杉に遺伝子操作を加えて無害化するか、もしくは人間のほうの遺伝子をいじってあらゆる余計なアレルギー反応を抑制するか、はたまた極度に高度化された生物学および工学が哲学の領域にまで突入して人間が形而下の存在から解放され物理法則すら超越した存在になるか。何にせよ、花粉症に悩まなくていい世界が実現しているだろうと思う。花粉症は、過去の遺物と成り果てているだろう。

と、はるか未来に思いを馳せつつ、目下私はマスクをし、コンタックを飲んでいる。明日あたり、甜茶を買ってくるつもりだ。いま頼りになるのは古来からあるお茶である。

2016年2月24日水曜日

名前募集バーガー

もうしばらく前になるが、マクドナルドの名前募集バーガーの名前を考え、応募した。

だいぶニュースになったので知らない人はいないと思うが、マクドナルドが新しいハンバーガーの名前を募集していた。もし応募した名前が採用されたら、現金で140万円がもらえるという夢のある企画である。ちょっとしたネーミングでそれだけもらえるなら破格だろうということで、ガチで考えた。

そうして知恵を絞ること数十分、私が応募した最有力候補はこれ。

「ジャガマック」

ジャガはもちろん、このバーガー最大の特徴であるポテトフィリングに因んでのもの。商品の内容を表すネーミングであれば、じゃがいも要素を抜かすことはできない。ポテト、という単語を入れることも考えたが、マックで「ポテト」と言えばフライドポテトのほうを連想するし、実務上、そちらとの混同も危惧されることから、「ジャガ」にした。

「マック」というのはもちろん「ビッグマック」からの連想。マックのメニュー表を見ると、具材のあいだにパンが挟まっているのは名前募集バーガーとビッグマックのみであったので、「○○マック」とするのはきわめて自然である。よって、ジャガマック。呼びやすいしね。

他にはこんなのも考えた。

「ジャガ丸」

ジャガは上と同様だが、手丸めバンズという特徴的なバンズを使っていることを踏まえ、末尾を「丸」とした。じゃじゃ丸的な響きのよさもあるし、五郎丸や真田丸が流行っている時分でもあるし、キャッチーさがある。

今回、名前の応募には数の制限がなかったため、他にも思いつく限りいろいろなものを送ってみた。他のものはもう覚えてすらいないが、ぜひとも採用されて、140万円をこの手につかみたい。

ちなみに、この名前募集バーガー、まだ一度も食べたことはない。


……と、ここまでは以前書いた内容で、おととい、ネーミングが決定した。その名も「北のいいとこ牛(ぎゅ)っとバーガー」である。私の候補作は落選である。

今回の敗因は、このバーガーが期間限定であることを見逃していた点だ。このネーミング、明らかにレギュラーで売る気のない名前である。私は呼びやすさ、親しみやすさを重視しすぎていた。期間限定なら、こういうネーミングもありだろう。

まあしかし、「北」というと「北海道」より「北朝鮮」を連想するし、牛=ハンバーグの部分は北海道産じゃないし、そもそも注文しづらいし、あまりいい名称とは思えない。そのうち食べてみようと思っていたが、やや躊躇してしまう。

2016年2月23日火曜日

無意識のレベルへ潜ること

無意識の領域は大事だなってよく思う。

作家の岩崎夏海氏が、最近のブロマガにこういうことを書いていた。映画というのは、夢や空想でしか見たことのないものを、映像で見せてくれるから面白いのだ、と。私にこの着眼点はなかった。映画と夢をつなげて考えるということはなかった。

しかし言われてみればそうで、たとえば空を飛ぶ映像というのは、もろに夢である。夢では、人間はよく空を飛ぶ。今朝も、私は空を飛んでいた。うろ覚えだが、対戦相手がおり、そいつは計量カップみたいなかたちをしていて、それと私とで、どちらが上へ行けるか散々競い合い、最後は私が雲を突き抜けて勝利を収めた。そういう夢を映像で見せられると面白い。

無意識の代表例は夢だが、ほかにもある。たとえば、破滅的な空想である。何かしら、厳粛な場がぶち壊しになるとか、えらい人に暴言を吐くとか、そういう、ほぼ意識にのぼってこないような悪い意味での空想というのも、物語として描かれると面白いものだ。たとえば筒井康隆の『文学部唯野教授』で、主人公に対して目上の教員が子どもみたいに感情をむき出しにして怒り狂うシーンがある。そういうのは面白い。

クリエイターにとって無意識のレベルに潜ることは必須である。そこには魅力的な題材が山とある。ただしそれは一筋縄ではいかない。意識は、どうしたって無意識と乖離してくるものだ。意識が認めたがらいものは無意識へと抑圧され、認識することが困難になってしまう。乖離が甚だしくなれば、創作どころか実生活にまで悪影響が及ぶ。そこんところを、何とかしなくてはいけない。いろいろな方法を用いて、無意識から、人間にとって面白いものを汲み取らなくてはいけない。

夢をメモしたり、あるいは社会の事象の背後に潜む、普遍的・集団的無意識をひもとくような試みをやっていきたい。

2016年2月22日月曜日

ブラック企業礼賛

貴様の言い分は、つまりこういうことか。ブラック企業は若い人間を使い潰す、精神的にも肉体的にも疲弊させる、それは社会の害悪だと。だからなくすべきだと。そう言いたいのだな。

たしかにブラック企業での労働は過酷だ。毎日あさから夜まで休みなく働き、残業代は出ず、休日にまで出勤を強要され、上司は理不尽にふるまう。おまけに正社員であるにもかかわらず、将来の見通しは暗い。実際のところ、安定した生活とはほど遠い。しかし、ブラック企業は本当に悪しきものなのだろうか。社会からなくすべきなのだろうか。

考えてもみろ。ブラックと言われている企業のサービスのことを。どのどれを取っても、顧客にとって非常にいいサービスをしてはいないかね? ブラック企業の提供するモノ・サービスは安くて良質なものばかりだ。一定のクオリティを保ちつつ、驚きの安さを実現している。大手の居酒屋やコンビニチェーンが頭に浮かんできただろう。それらの企業は、われわれに安くていいものを提供してくれているのだ。喜びと笑顔を与えてくれているのだよ。

さらには、従業員にとってすら、実はブラック企業は望ましいものなのではないか。もちろん、表面上はきついだのしんどいだの嘆くものもいるだろう。なかには鬱病となってリタイアするものもいるだろう。しかしブラック企業はその従業員にやりがいと目標を与えてくれているのだよ。

ある者にとって人生は、ブラック企業なしにはただただ退屈なものだったかもしれない。もし、どこにも属さず、ひとりで生き方を決めねばならないとしたら、人生の膨大な時間をまえにして立ちすくむしかなかったかもしれない。しかしブラック企業は、そんな人間を構成員として包摂し、目標と生きる張り合いを与えてくれるのだ。がむしゃらに働けば立派な社会人だと認めてもらえる、そんな環境を与えてくれているのだ。搾取だと? ハハ、冗談ではない! むしろブラック企業は万人を受け入れ、日々することを与え、おまけに給料まで払っているのだ。これは破格の待遇ではないかね?

もしブラック企業がなくなったらどうなる? われわれは安くて良質なサービスのうち、多くを失うかもしれない。雇用される側から見れば、居場所と目標を失ってしまうかもしれない。それが社会にとってよいことなのだろうか。

さあ、これでも貴様はブラック企業をなくせと言うのか。どうだ? ……そう、それでよい。ブラック企業こそは、われわれの社会にとってなくてはならぬ存在なのだよ。ブラック企業の社員たちは特有の倫理にのっとって必死に働く。そこでやりがいを感じる。客は笑顔になり、笑顔がかれらの喜びになる。これほど幸せなことはあるまい。

ブラック企業が、永遠に栄えんことを!

2016年2月21日日曜日

美女について

美女についてよく考える。

と言っても、鼻の下を伸ばしているわけではない。いいなあ、ということではない。むしろ、美女の立場、美女の主観というものに興味がある。

男性側からすれば美女は憧れの対象である。付き合いたいと思うし、キスしたいと思うし、パンツを覗きたいと思うし、耳たぶを舐めたいと思う。これが通常の見方だ。つまり、普通、男性サイドからは、美女というのは対象物であり獲得すべき目標という見方になってしまう。

しかし美女も人間である。主観を持っている。ひとりの人間として、自分が美女であることは、どういう作用をもたらすのだろう。美女にとってみれば、美しいがために、男たちが集まってくることになる。欲望の対象として見られまくる。もちろん、モテるから嬉しいという面もあろうが、あまりに多く好意を持たれると、おそらくウザいだろう。

岡田斗司夫がこう言っていた。「美しいことは能力ではない。なぜならそれは、身体能力や知的能力のように、加減して発動させられないから」。たしかにそうだ。美しいということは、普通に生きていれば隠すことができず、その美しさに付随するものからは、逃げることができない。

美しさは尊ばれる。ちやほやされる。しかしそれは、努力して得たものではない。とすれば美女は、努力してないのにちやほやされることに、何かしらわだかまりを感じるのではなかろうか。美女をこじらせている人も相当数いそうだ。

美しさはいずれ衰える。美女と言えども、よほど群を抜いていなければ、後半生はさして美しくない状態で過ごすことになる。美女として扱われるのは、おおむね十代後半から四十くらいまでの二十年ちょっとだけだろう。そういうリミットがあることは若いうちから感じてるはずで、それが美女の振る舞いにどう影響しているのかも興味深い。

散漫な話になってしまったが、美女というのはおそらく、端から見るほど得なものではなさそうというのが今のところの予想である。

2016年2月16日火曜日

と言いますか

以前、「を入れ言葉」について書いた。不必要な「を」が蔓延していて不愉快だ、という趣旨のことである。これについてはツイッターでも書き、多くのかたにリツイートされた。みな気になっているのだろう。

これと同程度に気になるのが「と言いますか」である。バリエーションとしては「と言うか」「と申しますか」があるが、とにかく、このたぐいの表現が気に障る。

別に、本来の用法のように、「Aと言いますか、Bです」と、こう使ってくれれば文句はない。たとえば、何々は好きですかと聞かれ、「好きではないと言いますか、率直に言って嫌いです」のように使うのならいい。しかし、このごろ「と言いますか」は、このあとに何も伴わずに出てくるのである。レポーターがだれかに質問するとき、文末が「と言いますか」だったりする。そこで終わって、相手にマイクを向けたりする。

日本語では、とかく断定を避ける言い方が好まれる。「と言いますか」の濫用もこの流れの一環だろう。たしかに便利ではあるが、どうにも気持ちが悪い。

さらに言えば、こうした大人のよく使う変な言葉というのは、なかなか批判に晒されにくいという状況もある。いわゆる学生言葉というのは、大人たちによって即座に否定され、矯正されていく。「おれ的には」「っぽい」「って感じ」「みたいな」などは社会人となるにあたり、容易に刈り取られていく。だが、大人側が使いはじめ、一般化した変な言葉というのは、それを批判する層がないものだから、歯止めなく蔓延していくことになる。

曖昧な言葉よ、滅びろ。

2016年2月12日金曜日

宗教に興味がない

私は宗教に興味がない。

高校までは公立校で、宗教とは無縁だった。大学はキリスト教主義を標榜する学校だったから、それなりに宗教について教育を受け、聖書もいくらか読んだが、結局興味は持てないままだった。専攻は哲学で、指導教員に宗教哲学をやるよう強く勧められたが、これも最後まで受け入れることができず、最後は大学院を辞めた。

塾で講師をしていたとき、上司がある仏教系の宗教の信者で、たびたび立派な会館へ連れていかれ、某大御所女性タレントの講演ビデオを見させられたり、職場でたびたび某新聞の切り抜きを手渡されていた。挙げ句、立派な会館の一室へと誘われ、立派な仏壇の前で男たちにさまざまに入信を勧められたが、断った。

そのとき、私は「自分には宗教の適性がないから」と言った。これは本当にそう思ってのことだが、もっと率直に言えば興味が湧かないのだった。塾の仕事も結局辞めた。

さらには、葬式というのも不可解なことが多い。私の両親は、いちおう近所の寺の檀家にはなっているが、普段は宗教になど興味がないというふうである。私に対し、宗教には手を出すなと、おそらくオウムやなんかが念頭にあって、忠告してたこともある。だが、葬式となると坊さんを呼んで念仏をあげてもらい、あまつさえ、死者の冥福を祈ったり、天国が実在するかのような前提の弔辞を読んだりするので、なんだ、宗教を信じてるんじゃないか、と思って変な気持ちになる。

無宗教だとか、宗教に興味がないと言うと、欧米ではみんな何かの宗教を信じてるとか、無宗教だという人間はまともに扱われないだとか言う人がいるが、外国人の友人に無宗教であることを理由に驚かれたり非難されたことはない。ドイツ人でも、日本人が仏教徒である程度にしかキリスト教徒でない人はいたし、無宗教と公言している人もいた。それに、日本人が基本的に無宗教だということくらい、まともな外国人なら知っている。

私は宗教に興味がないし、どちらかと言うと嫌いになってきている。これからも、死ぬまで宗教には関わらないで生きていきたいものだ。

2016年2月11日木曜日

小説も書いてる

家庭教師の生徒が見つからないと書いたが、ここ二、三日で動きがあった。二、三件、決まりそうである。うち二つは業者を介してのもので、時給はやや低めだが場所が近く、わるくない話だ。近いうちに行くことになるだろう。

そしてもう一件、こちらは業者ではなく、ネット上の仲介サービスを利用したもの。いわゆる個人契約とか直接契約と言われるもので、幸運にして、一件見込みの濃い案件がある。これは、家庭までの距離は少し遠いのだが、これが決まれば、ほどほどの稼ぎは得られそうである。

さて、このごろこんな話ばかりだが、小説も書いている。1月上旬に決めたペースはまったく守れていないが、コンスタントに書いてはいる。現在、全体の6割といったところ。しかし、書けば書くほど新たな課題、新たな弱点というのは見えて来るものである。今回痛感しているのは人物造形の弱さである。

文体やストーリーについてはある程度意識的に勉強し、訓練もしたが、キャラクターについてはぶっちゃけ真剣に考えたことがなかった。勉強もほぼしていない。だが、執筆や展開にたびたび詰まる原因は、おそらくキャラクターの薄さに原因がある。もしキャラが立っていれば、話はいくぶんスムーズに流れるはずなのである。いわゆる、「登場人物が勝手に動き出す」モードというのも訪れるはずだ。

というわけで、次回作を書くときはキャラクター造形に着目してやっていきたい。

2016年2月10日水曜日

コンビニバイト初日

いつものように庭へ出て、父親がチェーンソーで切り落とした枝を運んでいるとき、私は一つの影を見つけた。長方形の畳一畳ほどの影だった。上を見上げても何もないので、変だなぁと思った。私がその不思議な影を調べようとそこへ乗っかると、影は私を乗せたまま動きだし、そのまま私を運んで行った。

影はきっと、夜のうちにだれかが夜の一部を切り取って何枚も重ね、ひとが乗れるほど分厚くした夜の名残だったのだろう。とにかく罠であることはたしかで、私はその夜の名残である影にのって何十分も運ばれていった。

到着したのは山を二つ越えたところにある木でできた店だった。店といっても人間が利用するようなものではなく、山の妖怪やら死んで黄泉の旅路についた、まだ死者としての研修も受けていないような新しい死人専用の店だった。店には一人、太ったピンク色の化け物がいて、私に服をすべて脱ぐように命じた。私は寒いから脱ぎたくなかったが、化け物は、それがここのルールだと怒り散らすので、やむなくすべて脱ぎ、代わりに化け物が枯れ木で編んだ粗末な服を着せられた。そうして私の仕事がはじまったのだ。

そこの店舗は人間の世界の店とはちがい、汚ければ汚いほど客が喜ぶということで、まずはゴミ箱の中身をぶちまけるのが仕事だった。店のなかにある汚いものをすべて床へ撒くと、さらに別の化け物が新しいゴミを方々から調達してきて、最初の化け物はそれを喜んで受け取り、私に対し、これもすべて、くまなくまき散らすように命じた。私はそれに従った。

店には飲食物の取り扱い品もあったが、これも私の知っているような食べ物ではなく、泥をまるめたものであったり、昆虫やヘビの抜け殻であったり、猫や兎の抜け毛をまとめて油で揚げたものだったりした。私は、こんなものが売れるのか、喜ばれるのかと疑問に思って尋ねたのだが、化け物は三十センチもある鼻をならして笑い、こういうものこそがここでは喜ばれるのだと自慢げに言った。実際、やってきた客たちはこうした食物とも言えない食物を喜んで買い求め、散乱したゴミの上にあぐらをかいてうまそうに食べるのだった。

しばらく私が働いていると、店の化け物の知り合いらしき化け物が数人店を訪れ、親しげに会話をしはじめた。その内容は聞くだにおそろしいもので、どうしたら他人を罠にかけ、苦しめられるだろうかという計画だった。そいつらは、とにかくだれでもいいから罠や謀略に陥れ、困らせたり苦しめたりすることが唯一無二の楽しみだったのだ。私は出入り口の上に、命じられた通り、悪臭のする腐った果物の皮などを吊るしながら聞き耳をたて、おぞましさに身震いしたのだった。

当然のごとく、私は家に帰りたいと思った。しかし、化け物が私を家へ返すつもりのないことは明白だった。もし家に帰ろうとすれば、そんな素振りを見せた瞬間、私をバッタに変えたうえで羽と手足を毟り取るぞとまで言ったのだ。だから私は命令に従うしかなかった。

そうして悪臭と恐怖のうずまく中で勤務を続けていたのだが、店のすみにいるとき、客の化け物同士が何やら悪巧みをしているのが耳に入った。なんと、そいつらは店の店主である化け物を謀略にかけ、殺してしまおうとしていたのだ。彼らは何といっても邪悪なので、顔見知りであったとて、容赦はしないのだった。彼らの話し合っていたところによれば、店の上には大きな岩が乗っているから、天井を壊して店主の化け物を下敷きにしてやろうとのことだった。これに希望を見出した私はこっそりと彼らに協力する旨を伝え、謀略に加わった。

しばらく経ち、私は店主の化け物に、あっちのほうがきれいすぎやしませんかと言い、目的の場所へ誘導していった。化け物は自らも汚くなろうと、全身に泥を塗っているところだったが、まんまと私のあとについてきた。そうして示し合わせた地点まで来ると、私は大きな声で合図を送った。すると、屋根の上で待機していた先ほどの化け物二人がその巨体で飛び跳ねたものだから、ただでさえ腐りかけていた天井が抜け、化け物はその下敷きになったのだった。

しかし、共謀者であるその化け物二人も、ほどなく私の敵になることは明白だったので、私は捕まらないうちに店の奥へと逃げ込むと、私を最初連れてきたあの四角い影を見つけて引っ張り出した。その影もまた、もともと化け物に連れてこられ、利用され、監禁されていたので、私がやってきたことを非常に喜び、私を乗せて破れた屋根から逃げ出すことに成功した。

こうして、私の久しぶりの労働は無事に終わった。働くというのは、いつの時代も、どんな場所でも、たいへんなものである。

2016年2月6日土曜日

家庭教師の生徒募集中

きのう、応募していたバイトの採用が決定した。働くのはセーブオンという、北関東およびその周辺にはびこっているコンビニである。私が住む埼玉県北部において、セーブオンとカインズホームのバイトというのは三菱商事や電通の正社員とならぶ名誉ある仕事と認識されている。大学を出た甲斐があるというものである。

さて、しかしこのバイトを始めたとして、週に3回、1回4時間のシフトだと、月収は4万円をわずかに越えるに過ぎない。北関東における4万円は東京の25万円くらいの価値があるとはいえ、もう少し稼ぎたい。ということで現在、家庭教師の口を探している。

しかしこれがなかなか見つからない。もう受験が終わるころで、新学期前という時期的な要因もあるのだろうが、近場で適当な生徒が見つからないのだ。登録した各種仲介業者のサイトであったりネット上の家庭教師仲介サイトで日夜よさそうな求人を探しているのだが、ない。

以前京都で探していたときは、案外ちょこちょこ見つかった。京都といえば大学の街で、倍率はすこぶる高かったはずだが、それでもしばらく気にしていれば見つかった。なのにこっちではいまだ見つからず。埼玉で言うと、東京に近いさいたま市、川口市、草加市、川越市などでは頻繁に募集があるのに、群馬側だとほとんどない。このへん在住で家庭教師をやっている人物などそんなにいないはずなのだが、そもそも求人自体が極めて少ない。困ったことである。

もしここをご覧の方で、清水 Airに勉強を教えて欲しい、あるいは子どもに勉強を教えてやって欲しいという方がいたら連絡をいただきたい。いや、勉強だけでなく、自分も小説書いてるから創作論を語り合いたいとか、庭の枝を畑に運びたいんだけど手伝って欲しいとか、ひきこもってて暇だからゲームの対戦相手になって欲しいとか、なんとなく話を聞いて欲しいとか、なんか、そういうのでもいいんで。

2016年2月4日木曜日

枝運び

毎日、庭にある木を畑に運んでいる。

もうだいぶ前だが、雪が降った。暖冬だったはずが、急にやってきた寒気のせいで、庭一面真っ白になる雪が降った。細い枝の樹々にも雪は積もり、折れた。庭は不格好になった。

それをきっかけに父親が庭の枝を切った。祖母が他界してから荒れていた庭にようやく手が入った。枝切り鋏と小型チェーンソーによって枝はばさばさと落ちた。いっそのこと、ということで丸裸になった木もあった。最後には無数の枝といくつかの幹が残った。

私はだいたい家にいるから、それらを畑に運ぶ役目を負った。両手に枝を持ち、砂利の上をずるずると引きずり、畑に掘られた穴へ放り込む。それをひたすら繰り返す。なんどもなんども、ズリズリジャリジャリ、大小の枝を運ぶ。穴はすぐ一杯になった。そして穴は枝の山になっていった。

それでもまだ終わらない。私は長靴をはき、軍手をはめて、枝を引きずっては山に積んでゆく。そんな私を、猫と犬が興味深そうに見つめる。庭には一匹の犬と三匹の猫がいる。室外で飼っている猫も出てくれば、さらに一匹増え、合計で五匹の小動物の視線を集めることになる。

彼らに見つめられつつ、私は枝を運んだ。砂利にはやがて深い跡がついた。轍のようになった。穴だった場所は背丈を越える山になった。山の真ん中に、いつのまにか穴が空いていた。もともとは縦穴だった場所にできた山には、横穴が空いていた。穴は深く暗かった。中をのぞくと、空気が入っていくのが分かった。目を凝らして奥を眺めてみると、小さな芥子粒ほどの光が見えた。やがて光は大きくなって、汽車の音が聞こえた。耳を澄ましているうちに、穴からは汽車が出て来た。

汽車は黒光りする大きな車体をしていた。汽車は私の前で停止し、運転席から運転手が顔を出した。運転手は十二歳くらいの女の子だった。黒くて頑丈そうな半袖半ズボンを着ていて、頭には軍隊がかぶるような帽子を被っていた。その子は私に「乗りなよ」と言った。だから私はその子の隣に乗った。少し離れた場所で見ていた四匹の猫も乗り込んだ。犬は鎖に繋がれていたのでだめだった。

汽車は私がつけた轍を走り出した。庭をずんずん進んで行った。私はすごいもんだなあと思って外を眺めていた。猫たちは怖がっていた。その女の子は運転しながら、私に薪をくべるように言った。だから私は薪をボイラーにくべていった。ボイラーは真っ赤に灼熱していて熱かった。しかし軍手をしていてよかったと思った。汽車は初めてだからそんなやり方でいいのか不安だったが、女の子に聞くとそれでいいというので、私は安心して仕事を続けた。猫たちは薪で爪を研いでいた。

汽車が太陽系の外まで出てあたりが暗くなると、やっと女の子は運転をやめてレモネードを出してくれた。ボイラーは熱くて汗だくだったので、とてもおいしかった。猫には水しかくれなかったから、少しかわいそうだと思ったが、どうせ猫はレモネードを飲まないと女の子が言って、その通りだと思った。

一匹目の猫は汽車から飛び降りると黄色い星になり、二匹目が飛び降りると青い星になった。三匹目は彗星になって、この色は分からなかったが、女の子によると二千五百年周期で地球に近づくということなので、また会えることが分かって安心した。四匹目は室内で飼っている猫で、この猫は飛び降りるのを怖がった。だから代わりに女の子の胸へと飛び込んで真心になった。女の子は私にもう一杯レモネードをくれた。

もうこれ以上進んでも何もないところまで汽車は進んだ。宇宙に行き止まりがあると思っていなかった私は驚いた。だけどそれは行き止まりではなくて、ただそれ以上行っても何もないということだった。だから怖くなって引き返すことにした。だけど女の子は引き返したくないと行った。このまま何もないところへ行こうと言った。その方がいいのだということだった。私と女の子は、何かがある方がいいのか、何もない方がいいのかで言い争った。

言い争いをしていたら、女の子が真心を思い出した。真心があるから、また帰りたいということになって、二人で引き返した。帰りはもう道が分かっていたからとても楽だった。帰ってくると汽車で庭に降りた。私は女の子にさよならを言った。女の子は汽笛を鳴らしながら、もときた穴の中へと帰って行った。

あの穴はそのあと消えてしまったが、庭の枝はまだ残っている。雨が降って濡れる前に、畑へ運ばねばならない。

2016年2月2日火曜日

ニート親父とリーマン息子

父「おい畜太郎、ちょっと来なさい」

子「どうしたの父さん?」

父「今日はちょっと、大事な話がある」

子「なに?」

父「おまえ、いったいいつまでサラリーマンを続けるつもりなんだ?」

子「なんだよいきなり。いつまでって、定年までに決まってるでしょ」

父「だから、いつまでそんな夢みたいなことを言ってるんだと訊いてるんだ」

子「どういうこと? 言ってる意味が分からないよ」

父「お前ももう三十だろう。そろそろ将来のことをちゃんと考えて、サラリーマンでやっていくなんてのは考え直したらどうなんだ。そりゃあ若いうちはいい。しかしこれから先、四十五十になって、ずっとその会社にいられるとは限らないんだぞ」

子「だけど、うちの会社は一部上場企業だよ? 創業八十年の老舗だよ?」

父「そんなことは関係ない。これからは一流企業だってどうなるか分かりゃしないんだ。あとで路頭に迷うようなことになって後悔したって遅いんだぞ」

子「でも、いまそんなことを考えたってしょうがないじゃないか」

父「そういうところがおまえは甘いんだ。そんな刹那的な生き方では続かないぞ。いいか畜太郎、みんな成長するにつれ、身の丈にあった生活というのを見つけていくものなんだ。やりたいことだけやれるなんて、世の中そんな甘いもんじゃない」

子「別にやりたいことってわけじゃないよ。っていうか、僕も父さんみたいにニートになれってことなの?」

父「無理強いするつもりはない。ただ、自分でそれに気づいて欲しいということなんだ」

子「気づけないよそんなの。僕はニートにはなりたくない」

父「これだけ言ってまだ分からないのか。サラリーマンを続けていく、それがどれだけ大変なことか、真面目に考えたことがあるのか。現実を見ろ!」

子「見てるよ。すごく見てるよ。だから働いてるんじゃないか。僕は絶対、父さんみたいなつまらないニートにはならない! 僕は、サラリーマンを、自分の信じたこの道を進んでいく。そしていつかは課長になって、定年退職して厚生年金をもらうんだ!」

父「馬鹿野郎! もういい! おまえなぞ出ていけ!」

子「ああ分かったさ。出ていくよ。これからは一人でやっていく!」


母「あなた、よかったんですか? あんなにキツく言ったりして」

父「いいんだ。あいつはあれくらい言わなきゃ分からんヤツなんだ。せいせいした」

母「そうですか……。でもあの子、すごくいい目をしていませんでした? 本当に、強い意志があるというか、夢に向かってひたむきで」

父「そう見えたか?」

母「ええ。ほら、あの子、小さい頃からそうでしたでしょ? 自分が決めたことには全力で取り組んで、途中で放り出したりしない、そういう強い子でした。さっきの姿、あの頃のまんまでしたよ」

父「……実は、私も同じことを考えていた。あいつが、私にあれほど強く主張してくるとはな」

母「やっぱり私たちの子ですね。きっと、心配いりませんよ」

父「そうかもな。……ああ、つい大きい声を出して頭に血が上ってしまった。散歩にでも行くことにしよう。えっと、たしかハローワークは市役所のあたりだったな?」

母「あなた、とうとう職探しに……!」

父「どうやら、私もまだまだ甘ちゃんのようだ」

2016年2月1日月曜日

ひきこもりデイズ

ストレスばかりの職場にさよなら
さあ いますぐ 辞表を出そうよ

(ルー ルルル ルルー)

めざまし時計は燃えないゴミへ
スーツ ネクタイはたんすの奥へ
通勤定期は忘れず解約
有休消化は抜かりなく

自由 解放 終わらない連休
最後のタイムレコーダー押したなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

残業ない 早出もない
同期はいないし上司もいない
だれもあたしを縛れないの
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

自由 解放 終わらない連休
会社の鍵を返したなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

研修ない 出張ない
ノルマもなければレポートもない
なんにもあたしを縛れないの
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

(間奏)

ES書いたのはいつだっけ
面接ではなにを訊かれたんだっけ
思い出せないあのころのこと
遠い 遠い 過去のこと

手当ない 保障ない
ボーナスもなければ給料もない
ちょっぴり寂しい気もするけど
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

自由 解放 終わらない連休
偽りの自分を脱ぎ捨てたなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

(フェードアウト)




作詞 清水 Air(無職)
作曲 あなた(未来の無職)

2016年1月31日日曜日

バイトに応募

無職生活も今日で丸三ヶ月を迎えた。すっかり実家にもなじみ、風呂掃除と洗濯物の取り込みという名誉ある家事分担も得て、安定した生活をしている。

しかしそろそろ聞こえて来るのは「バイトくらいしろよ」という声。実際にそう言われることはないのだが、内面化された世間様がそうおっしゃっている。しかも、退職時にあった貯金はすでに底をつき、必要となるであろうガソリン代程度の小銭しかない。こりゃあまずい。

というわけで、重すぎる腰を上げてバイトを探した。まずは家庭教師にいくつか登録。学生時代の経験から推して、私がもっとも無理なくできるバイトはこれである。時給も、だいたい1800円から5000円と割がいい。私の経歴だと初期設定がどうなるかまだ不明だが、そこらのバイトよりはいいにちがいない。

ただし、家庭教師は生徒とマッチングできるかどうかが分からない。近所で条件の合う案件があればいいのだが、なかなかうまくはいかないもの。ということで、ついさきほど、ウェブでコンビニにも応募した。それも、セブンやファミマといったメジャーどころではなくセーブオンである。関東周辺以外にお住まいの方は「なんじゃそら」という感想を持つだろうが、セーブオンは埼玉ではかなり権勢を誇っている。セブンに勝るとも劣らない。このセーブオンで、週に三回ほど働ければいいと思っている。

「いや、正社員をめざすか、少なくともフルタイムで働けば?」

そんな世間様の声もいま聞こえたが、それにはとりあえず耳を塞ぐことにしよう。

2016年1月22日金曜日

すべて雪のせい

バイトに応募すると書いてから一週間、まだ応募していない。

いや、やろうとは思っていたのだ。毎日ネットでフロムAとタウンワークとindeedを巡回し、その結果狙いをつけていた。完全に勤労意欲に燃えていた。それを鎮火させたのは雪だった。

一週間ほど前、雪が降り積もった。車で外へ出られなくなった。山間の町に住んでいるので、都会に比べ、やはり積雪量が多い。おまけに私の車はスタッドレスでなく、チェーンも持っていない。もはや自宅に軟禁状態である。

というわけでこの一週間はいちども車に乗らず、外出もほぼしていない。そうして、窓から外を眺め、雪が溶けるのを待っていた。日光が庭に射し込むのを見て、地面が姿を現すのを待っていた。しかし、いまだ雪はしぶとく残存している。

明日の夜から日曜にかけ、どうやらまた寒波が襲来するようだ。関西が中心らしいが、このあたりでもまだ雪が降るかもしれない。そしたらまた一週間ほど、自宅にこもることになりそうだ。

2016年1月16日土曜日

ドライブ

相変わらずの日々を送っている。

執筆については、五日ほど前に計画を立てた。二月十七日に完成させると決めた。そのために毎日3000字書くことにした。しかしこの五日間、一日平均1200字しか書けていない。毎日が日曜日なのにこのザマである。

では書くこと以外に何をやっているのか。変わらず執心なのはドライブだ。三菱ミニキャブに乗って、日に一度か二度、三十分から一時間ほどそこらを流している。当初こそめんどうだったシフトチェンジも、慣れてくれば楽しいものだ。見た目は食パンにタイヤがついたような不細工な車ではあるが、なんだかバイクに乗っているかのような操作感覚になってくる。

しかし、これといった用もないのにドライブ三昧というのは少々こころが痛む。ちょっとした罪悪感が湧く。地球温暖化が懸念される昨今、不要なガソリンを消費するのはよくないことだ。

というわけで、車で往復三十分から一時間のバイト先を探している。来週中にはきっと応募する。

2016年1月10日日曜日

長編小説の書き方

やっとこさ、小説にまた着手した。師走に実家に戻り、職探しをするでもなく怠けていたのだが、ようやくである。現在、第二章の中盤あたりまで進んだ。

さて今回は、ワナビブログらしく(?)、長編小説の書き方について解説してみようと思う。もちろん私はど素人であり、まったくそんなレクチャーをする立ち位置にはいないのだが、「小説を書いている」と言うとどうやって書くのか尋ねられる機会もチラホラあるので、ざっくり書いてみたい。

まず長編小説というのはおよそ10万字程度あればよい。私の場合はたいてい12万から13万字程度となる。これを400字詰め原稿用紙に換算すると350枚といったところ。これだけあれば立派に一冊の本として成立する。文庫本になればおそらく300ページ弱の分量であろう。

一気に10万字を書く必要はない。いくつかの章に分ければいいのだ。8章立てとすれば、一つの章は12500字である。さらにこれも、シーンに分割することができる。4つのシーンで一つの章を構成すれば、ワンシーンは3000字強でいい。

また、書くペースもさほど無理をする必要はない。よく、そんなにたくさん書けないという人がいるが、少しずつ書けば問題ない。1日に400字、原稿用紙1枚分だけだとしても、1年かければ365枚となり、ひとつの作品が完成する。1日に4000字、原稿用紙10枚分書けば、1ヶ月で完成だ。そしてなんと、1日に4万字、原稿用紙100枚を書けば3日とかからない。さらに、1日で10万字書くとすると、わずか1日で完成してしまう。

案外、長編小説を書くというのは簡単である。

2016年1月3日日曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。清水です。

久々に実家暮らしで迎えた新年、非常にゆったりとした時間を過ごしております。先日三十一歳となりましたが、還暦を過ぎた両親と、二十代後半となった妹とと四人、あ、それと十歳ほどになる猫も加え、四人と一匹で正月を迎えました。一つの乗用車に猫を除く四人で乗り込み、郊外のショッピングセンターやチェーンの外食店に赴く。それはもう、十代のころとなんら違わぬ休日であります。

仕事を辞めてからはもう二ヶ月、急かされることとてないが、そろそろ気になるのは懐の具合。いくら実家暮らしで家賃・光熱費・食費ゼロの高待遇とはいえ、やはりちょこちょこ新生活のための買い物をしたりなどしておりますと、わずかな貯金がますます目減りし、心もとなくなって参ります。極めつけは本日届いた三井住友トラストクラブからの封筒。ぺらり、一枚の紙を広げてみますと、それは明細書で、お支払い額は39,632円と印字されておりました。目下、私の貯金額は60,000円。もう、携帯代などを考慮すれば、余裕がすべて吹き飛ぶほどの額。いよいよ追いつめられてきた。

ああ、働きたくない。労働したくない。雇用されたくない。けれど独力で稼ぐ才覚もない。そんなわけで、やはりここでも十代のころと変わらず、求人情報に目を光らせることになる。

私が住んでいるのは北関東の片隅で、学生時代を過ごした京都とは随分事情が違う。京都であればアルバイト先は星の数ほどあった。大学や老舗の和菓子屋といった、しゃれたバイト先も選べた。が、ここ埼玉にあるのはチェーンのお店ばかり。もしくは倉庫や工場。洒落っ気も何もありません。

いやしかし、そんな中でも、できるだけいいところで働きたい。いいところ。それはすなわち、かわいい子がいる職場であります。年頃の、かわいい女の子がいるところ。前職塾講師に関しては、さまざまに不満を募らせておりましたが、なかんづく慊りないと感じたのはここなのであります。女の子が、いない。いえもちろん、小中学生はおりましたが、恋愛対象にはならなかった。中三あたりならならないこともないが、さすがに規則や条例等もあり、ならなかった。そんな不全感に苛まれつつ脳裏を霞めていたのは、塾講師の更に前、百円ショップでのアルバイト。

店名を記すならダイソーなのですが、そこでのアルバイトはよかった。かわいい女の子がいた。年齢は十も違うが、同僚としてなかよくやれていた。ああ、あれはよかったなあ。そんなふうに、しみじみ思っていた。

というわけで、私がこれからのアルバイトに求める条件、それは、年頃の女の子がいること。時給? 750円あればいい。交通費? なくてもいい。土日祝日? 喜んでシフトに入る。とにかく、女の子を! 女の子と働きたい!

三十一歳、実家暮らし無職の男子、新年の願いであります。