2016年3月15日火曜日

バイトが楽

バイトが軌道に乗ってきた。

まあ、非正規雇用が問題になっている昨今、三十路を越えててあれなんだけど、アルバイトをはじめたわけで、それがいい感じである。

去年、フルタイムで働いているときはしんどかった。塾講師という専門的な職種だから授業のスキルをあげなければいけないし、でもできないし、ほかの業務も規定時間内に終わらなかった。「これじゃ仕事メインの生活になっちゃうよぅ」と内心泣き言をいう日々だった。サラリーマンならそれが普通なんだけど。

それが今はどうだろう。コンビニのバイト、非常に楽である。なんならこれまでやったバイトのなかでトップクラスに楽である。客はぽつりぽつりとしかやって来ず、やるべき業務も多くなく、覚えるべきことはおおよそ覚えてしまったっぽい。

家庭教師も並行してやっているがこちらもしんどいことはなく、ストレスなしにやれている。個人契約でもひとり、生徒を見つけることができた。

こうしたバイトによって、最低限のキャッシュフローは手に入れられそうである。と同時に、いちばん必要な時間を多量に確保できている。いい感じである。一人暮らしで非正規雇用で生活カツカツというあなた、実家にパラサイトしてバイト生活を試してみてはいかがだろうか。

2016年3月12日土曜日

人間を型にはめて見る

三日ほど前、新作の初稿が完成した。思えば新しい作品を仕上げるのはもう一年半ぶりくらいになる。だいぶ間が空いてしまったものだ。

波はあれど、やはり書けば書くほど技術が向上している。以前は後半になるとかなりバテて、最後のほうはとにかく埋めることに必死だったが、今回はこころに余裕があった。終わり方はどんな感じにしよっかなーと、鼻歌まじりに本棚から名作を十冊ほどひっぱりだし、いろんなパターンを比較検討する余裕すらあった。いいことである。

ストーリーについてはかなり理解が進んで来た。だいたいどんなふうにすれば10万字程度の話を転がせるか、感覚として染み込んで来た気がする。ただ、中盤は若干こまった。そして、そのこまった原因はおそらく、キャラクター造形のつたなさにある。

もともと私は他人への興味が薄い。ひとの顔と名前がなかなか一致しない。たぶん、あんまり見てないんだろう。しかし、魅力的でリアルで一貫性のあるキャラをつくりあげるためには、人間の類型について知らねばならない。

というわけで、今後は推敲を進めつつ、この方面の勉強をしていきたい。とりあえずは岩波文庫で去年重版がかかったテオプラストス『人さまざま』を読んでいる。普通の人間の類型、とりわけ欠点についてエッセイ風に書かれた最古の書らしい。学校教育なんかでは、人間を型にはめて見てはいけないと言われるが、創作においてはむしろ逆。とことん人間を型にはめて見る見方を習得していきたい。

2016年3月4日金曜日

花粉症のない世界

花粉症の季節がやってきた。まだ序の口のはずであるが、鼻水が止まらず目もかゆいという日がもう何日かあった。これからが怖い。

去年まで、私は関西にいた。関西で一人暮らしを初めてからというもの、私の花粉症は相当に鳴りを潜め、さしたる苦痛ではなかった。だが、今年は十年ぶりに地元で春を迎えることになる。十代のころの花粉症のしんどさが、ひょっとしたらまた戻ってくるかもしれない。

私の地元はど田舎で、家も山のふもとみたいなところにある。車でほんの少し山を登れば杉の峠という名の峠がある。なんとも不吉な名称である。春の風に乗ってわさわさと揺れる杉の樹々から黄色いモヤモヤが流れてくる。そんなイメージが浮かんでくる。

にしても、これだけ科学技術が発展し、人工知能だ万能細胞だと騒がれている割に、花粉症対策はお粗末である。そこそこいい薬、まあまあのマスク、疑わしい民間療法は毎年毎年出てくるが、根本的な解決にはほど遠い。結局、われわれ日本人は花粉症に悩まされているのだ。

こんなとき、脳裏をよぎるのはこんな思い。「ああ、五百年後くらいに生まれてりゃあな」である。たぶん、あと五百年もあれば、日本人は花粉症を克服しているだろう。副作用のない完璧な薬を開発するか、都市全体を透明なドームで覆うか、杉に遺伝子操作を加えて無害化するか、もしくは人間のほうの遺伝子をいじってあらゆる余計なアレルギー反応を抑制するか、はたまた極度に高度化された生物学および工学が哲学の領域にまで突入して人間が形而下の存在から解放され物理法則すら超越した存在になるか。何にせよ、花粉症に悩まなくていい世界が実現しているだろうと思う。花粉症は、過去の遺物と成り果てているだろう。

と、はるか未来に思いを馳せつつ、目下私はマスクをし、コンタックを飲んでいる。明日あたり、甜茶を買ってくるつもりだ。いま頼りになるのは古来からあるお茶である。