最近は、本を捨てることにハマってます。
一人暮らしをはじめてはや八年、なるべく不要なものは持たないと決めて、なるべくさっぱりした部屋で暮らそうと心がけていたのですが、どうしても溜まってくるのは本でした。これだけは、買わないわけにはいかなかった。
で、どうなったかと言いますと、部屋の空間内にある物質のうち、重量のおそらく七割が本という状況に。収納部分は、衣類を除けば、ほぼ本になってしまいました。
それでも、きれいに整理はしていたのです。なるべく見栄えがいいよう、あるいは見えないところへ、本をきちっと入れておいたんです。んが、十日ほど前、とうとう私の中で何かが切れました。プツリと、切れました。
よし、本を処分しよう。
何かに取り憑かれたかのごとくそう決心した私は、本の大量虐殺に取りかかりました。ライトな本で状態のいいものはリュック、バッグなどに詰め込み、重みでよろよろしながら自転車で近所の古本屋へ。100冊2000円ほどで投げ売ります。これを三回ほど繰り返した。買い取り不能であろう状態の悪いものはビニールテープで縛って古紙回収へ。これも腰が痛くなるくらい繰り返しました。
さらに、割としっかりした専門書などはちゃんとした古書店へ行き、これは10冊7000円ほどで売りました。7000円というと高いようですが、買ったときは何万とした高価な本です。しかし気にしない。本を処分すると決めたのだから……。
そうして、あらゆる古典文学、哲学書、専門書、新書、小説などが部屋から排除されてゆきました。さようならプラトン、さようならホメロス、さようなら芥川、さようなら漱石、さようなら辞書たち……。
やはり、本というのは大切な存在ですから、これを捨てる、売り飛ばすのは心が痛みます。私という人間の精神を形成してきた血肉のようなものですから、まるで肉体をもぎとって捨て去るような苦痛が生まれます。けど、本当はこれが正しいのだと思うのです。本は消耗品、いや、食料のようなもの。それから精神の栄養を得たのなら、その本は、手放すべきだと思うのです。
つまり、これまでの私は、食い物でたとえるなら、サンドイッチの包み紙や弁当のプラスチック容器、バナナの皮やカニの甲羅をコレクションしていたようなものだったのです。ええ、そうに違いないのです。そんなのは不健康なことです。
実際、かなり本の少なくなった部屋にいると、すごく開放的な気分になります。まるで、大学に入り、ほとんど本のないまっさらな部屋に越して来たときのような、オープンな心境になれます。事実、大学学部時代から取っておいたレジュメ、ノート、レポートのたぐいもみんな捨てましたから、ほんとに、生活がまっさらな状態に戻ったような心境なのです。窓から吹き込む風も、いつもよりさわやかです。
思うのですが、部屋に目下使用していない物質があるというデメリットはかなりでかいのです。なにか、無意識のレベルで人間の心に重圧をかけているような気がします。ものを捨てるというのは、次のステップに進むための重要な行為のような気がします。
デカルトも『方法序説』で言っていました。新しいものを構築するためには、まず、いまあるものをすべて破壊しなければならない、と。ま、すでに『方法序説』も捨てたので、正確な文章は引用できませんが、そういうことです。
生活に行き詰まり感がある、心機一転したい、そんな人には、本の八割を捨てることをおすすめします。
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