賞に落選すると、ついこんなふうにつぶやきたくなります。
「運が悪かった……」と。
とりわけ自信作が一次選考ではじかれると、どうしてもそんな思いが湧いて来る。もちろん、たいていそれは負け惜しみであり、実際には実力不足に起因するものでしょう。落選という事実は謙虚に受け止めるのがベストだと思います。
とはいえ、それでも運によって左右される部分はあるでしょう。非常に公平性が担保された大学の一般入試でさえ、やはり運の要素は関わってくるのですから。いわんや新人賞においてをや。事実、ある賞で落選したものが別の賞で受賞ということもままあります。
もちろん、質が一定のハードルをクリアしていることは前提です。いい作品が不運によって落とされることはあるでしょうが、不出来なものが幸運で受賞ということはまずないでしょう。ということで、質はいいというのは前提とします。けど、その上でなお、運に左右されることはありうると思う。
ではどうするか。
よく「運も実力のうち」などと言いますが、そう言って運を天に預けるだけでは芸がありません。発展性がありません。ここは、数にものを言わせるべきではないかと思います。質を高める以外に手を打つなら、数に訴えるしかない。
例として、とても単純な確率を考えてみます。
サイコロを1回振ったとき、1の目が出る確率はもちろん1/6です。約17%。1回振っただけではなかなか目的の目は出ません。
では、4回振ったらどうか? 4回振って1の目が少なくとも1回出る確率。それはこうなります。
1-(5/6)^4=1-625/1296=671/1296≒0.52
(「4回中、最低でも1回1の目が出る」の余事象は「4回中、1回も1の目がでない」なので、こういう計算)
答えは約52%。1/2を越えます。
これが6回なら約67%で、10回ならば約84%となります。かなり現実的な数字になってくるのです。当たり前っちゃ当たり前ですが、試行の回数を増やせば、目的の目を出せる確率はグングン上がってくる。
というわけで、「運も実力のうち」という言葉、考え方は、ややもするとオカルト的になってしまいますが、正しく捉えるなら、重要な示唆を与えてくれるものだと思います。つまり、運=確率を上げるには数を打つのが効果的で、それができるのも実力のうちだということです。
結論! いっぱい書こう!
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