仕事を辞めた。つまり、塾講師を辞めた。すでに退職済みなので、もう職種を書いてもいいだろう。
十月に入ってからはもう出勤したくない気持ちが強く、一日でもはやく辞めたかった。だが、実際に最後の日となると、生徒と離れる寂しさが勝った。八ヶ月。他の講師たちに比べれば生徒との関係は短かったわけだが、それでも愛着は湧いていた。授業はへたくそでまたたくまに降板させられてしまったが、その後も毎日生徒たちは質問に来たので、関係性は着実に強くなっていた。
しかし、辞めてしまえばもう会うこともない。当然、仕事上のタブーとして連絡先の交換などもしていない。「さようなら、かわいい生徒たちよ」。昨夜、職場の鍵を返却し、さっぱり整理した机をあとにした私は、自転車をこぎながら思った。
それから一夜あけ、本日昼過ぎ、無職となった私はローソンにいった。お昼にカルボナーラとチキンとメロンパンを買った。寒さの増した空気のなかを、袋をぶらさげ、マンションの自室に向かって歩いた。すると、前から二人の中学生女子が自転車に乗って近づいたきた。おや、あれは。すれ違いざま、私は言った。
「こんにちは」
二人は生徒だった。どちらも、以前は授業で教えており、その後もたびたび質問に来ていた生徒だ。つい昨日も湿度や温度、飽和水蒸気量の問題について教えたばかり。
「こんにちは、先生!」
アラレちゃんに似ている片方の生徒が元気にいった。そして去っていった。離職の件は生徒たちには一切言っていないので、彼女らは明日も私が塾にいると思っているだろう。まさか、もう二度と姿を現さないとはゆめゆめ思ってはいないだろう。
「先生」と呼ばれることも、先の人生、もうほとんどあるまい。質問攻めに合い、「先生、はやくこっち来て!」と取り合いされることもないだろう。そう思うと寂しい。しかし、仕事に行かなくていいと思うと嬉しい。
はじめまして。他人事と思えなくてコメントしました。『ポプラ社小説新人賞』の検索で、ここに辿り着いた次第で、私も小説家を志しています。私も仕事を辞めようと悩んでいて、退職届は常に鞄の中に入ってます……。塾業界は大変ですよね。わかります。私も塾講師ですから笑 しかも理系笑
返信削除おお、これほど似た境遇の方がおられるとは。コメントありがとうございます。
返信削除私は授業がヘタクソだったことと、このまま続けても執筆と仕事を両立させるのは無理と判断し、辞めてしまいました。塾講師、なかなかたいへんですよね。生徒はかわいいですけど。