2016年6月4日土曜日

よく見る夢

私はそれほど頻繁に夢は見ないのだが、しかし一つだけ、繰り返し見る夢がある。それは、高校に通う夢だ。

今朝も見た。私は高校生で、電車に乗って高校へ行った。教室にはクラスメイトたちがおり、まさに普通の高校生活。そこで英語や世界史なんかを学ぶ。現実にあった高校生活とほぼ同じである。

だが、一点だけ不自然なところがあった。いつも、そこだけが現実と違う。つまり、夢の中で高校に通っている私は、自分がもう大学を出ていい大人になっていることを自覚しているのである。すでに大学を、それどころか大学院まで出たことをわかった上で、夢の中の私は高校の授業を受けている。

こんな夢を見るのは、私の中で高校時代というものが未消化であるからだ。高校生のころ、私はひとりの友人もおらず、勉強にもやる気をなくして劣等生となり、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。結果、ぎりぎりの出席日数と成績で卒業するに至った。たしかに、私は卒業証書をもらった。だが、能動的に卒業したという意識は乏しい。むしろ、タイムアップで放り出された感がつよい。

おそらく、私の潜在意識においては高校時代が終わっていないのだ。私は、内面の問題として、高校を卒業していない。いまだに、高校に捕われている。社会的には院卒とされているが、精神は高校時代に押しとどめられている。

未練がある、というのとは少し違う。だが、「ちゃんと終わっていない」という感覚が濃厚にある。部活もやっていない、クラスメイトとの関係もだめ、授業にもついていけてない、みんなと一緒に受験に臨むということもしていない。すべて未了、未完、不発である。

中学生のころに漠然と憧れを抱いた高校時代はついぞやってこなかった。そこはスキップして、私は大学生になった。空白がある。その空白を「未完の青春」とでも呼ぼう。「未完の青春」はピリオドを欠いたまま、潜在意識に残りつづける。

いわばそれは、途中でばっさりと切断された苗のようなものだ。そしてその苗はもう二度と息を吹き返さない。ふたたび伸びることはない。三十を過ぎて、もう一度高校生に戻って青春を送ることはできないのだから。だが、「未完の青春」は、未完であるがゆえに、また別種の仕方でこれから発展してゆく可能性を持っている。たぶん、そうだと思う。切断された苗から、きっと物語という想像上の「続き」が育ってゆくのだ。

2 件のコメント:

  1. 私も高校の夢見ますよ。
    清水さんと同じで大学卒業してることは自覚してるんです。
    夢に出てくるのはなぜか高校だけですね。
    大学も中学校も小学校もないのに高校だけ。
    ホントに不思議ですね。

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  2. そういえば僕も、大学や小中学校のことは夢に見ません。時間的には大学の方が長かったのに。いちどフロイトに話を聞いてみたい案件ですね。

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