最先端の科学の研究というのはなぞが多い。素粒子だとか、ひも理論だとか、ニュートリノだとか、実に日常生活からはかけ離れている。最近も、百何番目だかの元素が発見されてニホニウムと名付けられたなんてニュースがあったが、そのニホニウム、生まれてから千分の二秒で消滅してしまうそうで、どんなもんだか想像しづらい。
で、そんな話に接したとき、よく発せられるのはこんな問いである。
「それって何の役に立つの?」
私はこの問いが嫌いだ。自然科学は、すべて実用性のために研究されているわけではないし、最先端の知見というのはいつどうやって有用なものに転化するかわからない。そんなもの、予めわかりようがない。そもそも、知のフロンティアを開拓することそのものが目的なのだ。目的たりうるものだ。これを手段としてしか見れない精神は、実に貧困である。
だが、今回言いたいのはそういうことではない。科学に対して「何の役に立つの?」と問う人々に対して、私がいつも抱く疑問があるのだ。つまり、科学にはその問いを突きつけるのに、なんでスポーツには同じことを言わないの? ということだ。
スポーツ。私から見るとこれほどなぞに満ちたものはない。いや、素人が娯楽とか息抜きにやるのはいいのだ。それはレジャーであって、ぜんぜん理解できる。しかし問題はプロスポーツである。いったいなぜ玉を蹴ったり打ったりして、億単位の金が動くのだ? みなが熱狂するのだ? それが解せない。
スポーツというのは何の役にも立っていない。はやく走ったり、たかく飛んだり、ボールを遠くまで投げたり、遠くまで打ったり、そんなことをしても、われわれの生活には何の影響もない。有用性ということで言えば、スポーツはゼロである。
もし科学に有用性を求めるのであれば、ウサイン・ボルトにもこう問うてもらいたい。彼が百メートルを全力疾走し、世界新記録を出したその瞬間に、こうインタビューしてもらいたい。
「はやく走って、何の役に立つんですか?」
イチローに対しても、同じように問うてもらいたい。日米通算で歴代最多安打を達成したその試合後のインタビューで、「おめでとうございます」の第一声のあと、こう尋ねてもらいたい。
「だけど、玉を打って何の役に立つんですか?」
そして、キレたイチローにバットでぼこぼこにされて欲しい。
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