次元について考えている。ルパンの相棒ではなく、ディメンションのほうだ。
数日前から、ハーバード大の美人教授であるリサ・ランドールの著書『ワープする宇宙』を読んでいるのだが、これが実に刺激的である。平易な文章によって、多次元世界、あるいはパラレルワールドについて書いているのだ。
いま私たちのいる宇宙というのは、三次元の空間に時間の一次元を足した、四次元の世界である。だが、リサ・ランドールによれば、これより多くの次元が存在する可能性があるのだという。しかも、ひも理論によれば、それは十次元ないし十一次元という、かなり多い数であるという。
もしこれが本当ならば面白い。私たちの空間は三次元だが、実際には四次元あって、その四次元空間のなかには、ドミノの牌のように、三次元世界が間隔をあけて存立しているというのが現実かもしれない。つまり、唯一の宇宙であると思っていたこの宇宙は、無数にある宇宙のうちの一つに過ぎないのかもしれない。であれば、他の宇宙には私たちとは違う知的生命体がいて、独自の進化を遂げているのかも。いや、もっとおもしろいのは、私たちの宇宙とほぼ同じでそっくりなのに、微妙に違う宇宙があるという考えだ。さまざまなバージョンの宇宙が無数にあるんだとすれば、それは楽しいものである。
あるいはさらに、四次元空間をそもそも住処とする生命体がいれば、それもまたおもしろい。四次元猫とか、四次元少女がいれば、ぜひ会ってみたいと思う。五次元ナイジェリア人とか六次元舛添要一とかも、何やらすごそうである。
よくわからない話になってきたが、次元がいま思っているより多くあるかもというのは、想像するだけでわくわくする話だ。今後研究が進み、実証的に明らかにしていって欲しい。
だが、ふと考えてみると、創作活動をするというのも、余分な次元を持つことに似ている。とりわけ小説というのは、そのなかに空間の広がりと時間の流れを持っている。そして、現実と似て非なるものである。現実とはいくらか違う、独特の法則に縛られている。とすれば、創作活動を行うこと自体、別の次元の宇宙にコンタクトすることなのかもしれない。実際、創作というのは、文字通り「余剰の」「余分な」次元である。普通の世界の人々は、ある人間を見て、その人が現実とは別の時空を持っているなどとは認識できないのだから。
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