高校までは公立校で、宗教とは無縁だった。大学はキリスト教主義を標榜する学校だったから、それなりに宗教について教育を受け、聖書もいくらか読んだが、結局興味は持てないままだった。専攻は哲学で、指導教員に宗教哲学をやるよう強く勧められたが、これも最後まで受け入れることができず、最後は大学院を辞めた。
塾で講師をしていたとき、上司がある仏教系の宗教の信者で、たびたび立派な会館へ連れていかれ、某大御所女性タレントの講演ビデオを見させられたり、職場でたびたび某新聞の切り抜きを手渡されていた。挙げ句、立派な会館の一室へと誘われ、立派な仏壇の前で男たちにさまざまに入信を勧められたが、断った。
そのとき、私は「自分には宗教の適性がないから」と言った。これは本当にそう思ってのことだが、もっと率直に言えば興味が湧かないのだった。塾の仕事も結局辞めた。
さらには、葬式というのも不可解なことが多い。私の両親は、いちおう近所の寺の檀家にはなっているが、普段は宗教になど興味がないというふうである。私に対し、宗教には手を出すなと、おそらくオウムやなんかが念頭にあって、忠告してたこともある。だが、葬式となると坊さんを呼んで念仏をあげてもらい、あまつさえ、死者の冥福を祈ったり、天国が実在するかのような前提の弔辞を読んだりするので、なんだ、宗教を信じてるんじゃないか、と思って変な気持ちになる。
無宗教だとか、宗教に興味がないと言うと、欧米ではみんな何かの宗教を信じてるとか、無宗教だという人間はまともに扱われないだとか言う人がいるが、外国人の友人に無宗教であることを理由に驚かれたり非難されたことはない。ドイツ人でも、日本人が仏教徒である程度にしかキリスト教徒でない人はいたし、無宗教と公言している人もいた。それに、日本人が基本的に無宗教だということくらい、まともな外国人なら知っている。
私は宗教に興味がないし、どちらかと言うと嫌いになってきている。これからも、死ぬまで宗教には関わらないで生きていきたいものだ。
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