2011年10月28日金曜日

肩毛

昨夜ブログを書いてから、一件のアクセスがあった。ありがたいことである。

芸能人のブログとか、一般人でも人気ブロガーのブログには一日に何万、何十万というアクセスがあるらしいが、私は目下そんなものは望まない。一人一人のアクセスを大事にしていこうと思う。ひっそりと、コツコツとやっていきたい。

さて昨晩決定したこのブログの趣旨である乳毛についてだが、今のところまだその存在意義について満足のゆく説明はできていない。この問いについてもやはり、じっくりと取り組んでゆく必要がある。

しかしそんな中、もっとわけのわからない毛が私のからだに生えていることに気づいた。それは、左肩にひょっこりと現れた、いわば肩毛である。

左の肩にたった二本だけ、指二本分くらいの感覚を空けて、そいつらは生えている。しかもそこそこ長くたくましい毛である。いま確認したところ、三、四センチはくだらない。そんなのがたった二本だけ生えている。これはどうしたことか。

もちろん、肩の反対側、すなわち脇と呼ばれる部位にはわんさと生えている。しかしこれの存在意義はわかる。頻繁に擦れる箇所だし、ホンマでっかTVによればフェロモン的なものを拡散させ女性を惹き付ける効果があるのだという(しかし誰も寄ってこないからその情報は眉唾ものだが)。が、肩に生えた毛というのは意味がわからない。

「余はいったい、何のために生まれてきたのだ?」

肩の上で、二人は自問していることだろう。

ただ、人間であれば生きてゆく中で自分の存在理由というか、生き甲斐を見出すことができる。しかしこの毛は……。乳毛以上の謎である。もし私が肩に鷹でも乗せて曲芸をやらせる、いわゆる鷹匠をやってるのであれば、鷹の鋭い爪から皮膚を守ろうとからだが気を利かせて毛を生やしたのだろうと思えるが、そんな趣味はない。せいぜい肩にかけるものと言えばショルダーバッグだが、それはいつも右肩にかけているのだから、逆である。それならせめて右肩に生えるべきだ。

つらつらと叙述してきたが、やはり肩毛の意味は見出せない。これも今後の課題ということにしよう。

バキに憧れて

さっきも書いたけれど、この頃は合気道に夢中。

このブログが中断した三月頃は自分が合気道にハマるなど予想だにしなかった。あの頃、からだを動かす奴は馬鹿だと思っていた。武道などやる奴は頭がおかしいと思っていた。この治安のいい、頭がものを言う時代に運動など無用の長物だと思っていた。それが週二で道場に通うという始末である。

ではなぜこんな急展開になったのかといえば、あまり大きな声では言えないが、バキという漫画がきっかけだ。はじまりはバキ。おそらく多くの人が知っているであろう、有名な格闘漫画である。あれを読んで、「強くなりたい」と願うようになった。力への渇望を感じたのだ。

そこで三ヶ月ほど前に思い切って道場に通い始めた。それからというもの、武道を見下していた態度も百八十度変わった。むしろ、武道をやってない人に疑問を覚えるようになった。おまえら、強くなりたいとは思わないのか? そんな貧弱なことでいいのか? 男なら強さを、最強をめざせよ! と。

だいたいこんなスタンスでこれからも茶帯、黒帯を目指して稽古に励んで行こうと思う。少年漫画に触発されて強さを求め始めた、運動経験なしの二十代中盤成人男性をどうか笑わないで見守って欲しい。

再開

合気道の稽古で腰を痛めた。

間接を極めて投げる、という技の練習をしていたのだが、うまく受身が取れず何度もドテンドテンと落ちた結果、現在腰が痛い。とくに、しゃがむとちっちゃい雷が脇腹あたりを貫いてゆく。まるで腰痛持ちのジジィである。

前回り受身は合気道の基本。はやくしっかりとした形を身につけ、体に負荷のかからない転がり方ができるようになりたい。


さてなにげなく今日の日記を書いてみたが気づけばこのブログ、七ヶ月も放置していた。前に書いたのが三月の初旬。もはやこのブログはネットという大海に取り残されたゴミくずとなり果てていた。

しかしわずかとはいえアクセスもある。「乳毛」で検索してここに流れ着く人がときたまいるようなのである。ほんの一ミクロンとはいえ、まだこのブログにも存在意義はあるはずだ。このブログでしかやれないことがあるはずだ。それがある限り、僕はブログを書き続けよう。

よし、今後は乳毛の存在する意義を考察し、ここに綴ることにする。この神秘の存在に私の知性のすべてを捧げるのだ。そして、乳毛ジャンル第一のブログになってやるのだ。